2011年2月22日火曜日

パンデミックを防ぐために我々がなすべきことは

「首都感染」
高嶋 哲夫

単行本: 482ページ
出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062166402
ISBN-13: 978-4062166409
発売日: 2010/12/17

近未来、20XX年初夏という設定。
サッカーワールドカップが中国本土で開かれている。だが、どうも中国政府の様子がおかしい。
ネットの書き込みが急に減っているというのだ。当局が意識的に削除しているようだ。
軍部がベトナム国境で不穏な動きをしている。自国民を始末しているという報道もある。

主人公は東京の病院の医師。瀬戸崎優司というアル中気味の36歳。離婚歴があり、それにまつわる悲しい過去が徐々に明らかになる。父親は総理大臣という恵まれた立場だが、それを指摘されて本人は言い放つ「1億3千万分の2の確立だ」。父と同居して世話をしている姉がいるのだ。
別れた妻は今は再婚してスイスのWHO本部で勤務しているが、その父親は現職の厚労相、父親の総理とは学生時代から家族ぐるみの付き合いだった。

そして優司のもとに日本政府から依頼がくる。
インフルエンザの襲来に備えた対策を練るという。大臣たちはインフルエンザの恐ろしさを知らない。先の豚インフルの空騒ぎで勇み足を警戒しているし、鳥インフルなどのレベルでしか事態を捉えられない。
H5N1型から変異した強毒性インフルエンザの前では日本の対策は無きにしも等しいのに。

病院の同僚医師がベスト8に進出したサッカーチームの応援に中国へ出掛けていく。
応援のために中国に大挙して押しかけた日本人サポーターたちが、もしもインフルエンザを日本に持ち帰ったら・・・・
そして世界にちらばったサポーターが世界各国にウイルスを持ち込むことも考えられる。

ここまでで100ページ、5分の1あたり。
やはり発生した新型インフルエンザが猛威を古い、中国始め世界でパンデミックをみせる。
体内で強烈な変化をみせるウイルスの前で、医師たちはなすすべもなく死者を見送るばかり。世界での致死率は60%との数字が出る。
だが、優司と政府がタッグを組んでウイルスの隔離に成功した日本では、世界の患者数とは一桁少ない犠牲者で推移している。
しかし、それでも一人の医師、家族から見守られて死んでいく患者、悲しさ、無力感が優司を襲う。

後半、首都を封鎖し、抗インフルエンザ薬の開発を進める優司たちの活躍が描かれる。
基本的な手法だと優司たちはあくまで控えめだが、その基礎的なことが出来ないのが人間の住む世界、別れた妻にもそう指摘される。
ラッキーなタイミングで、かなり無理なシチュエーションがうまく行きすぎる展開にはなるが、これほどの強権を発動することの出来る政府や病院関係者が日本にもいることを望みたい。
鳥インフルのニュースを見ながら、さて、日本国民は大丈夫だろうかとの不安に背筋が凍る大作。

 

2011年2月15日火曜日

はばたく想像力、作家の限界はどこにある

 

「原稿零枚日記」
小川 洋子

単行本: 240ページ
出版社: 集英社
言語 日本語
ISBN-10: 4087713601
ISBN-13: 978-4087713602
発売日: 2010/8/5

いやあ、小川さんの想像力にはあらためて恐れ入ります。
『日記』というタイトル、そして、表題もなく、

「9月のある日(金)
 長編小説の取材のため・・・」

と始まる物語で、読者はついつい、ちょっとしたエッセイかな、と思い込み、物語の中に入り込んで行くことになる。
 そこにあるのは、
 苔料理専門店で供される苔料理の数々。
 子供時代の間取りを思い出すとともに部屋中に広がる方眼紙。
 運動会あらしでもらった賞品の学習ノートに書かれる物語。
 そして編集者や母とのかかわりと、孤独な小説家の内面に巣食う暗い情念。

 ひきこもりの作家かと思えば行動的。健康スパランドに出向くかと思えば、飛行機と新幹線を乗り継ぎ、屋外美術展で冒険を繰り広げる。

 繰り返すが、この想像力はどうだろう。
 デビュー当時から一目置いてはいたが、こうして短編集の形態をとる連作長編を読むと、小川さんの頭の中をのぞいて見たくなる。
 

2011年2月8日火曜日

龍馬や勝海舟と関わるひとりの快男児

「荒ぶる波濤」
~幕末の快男子陸奥陽之助~
津本 陽

単行本:281ページ
出版社: PHP研究所
ISBN-10: 4569775047
ISBN-13: 978-4569775043
発売日: 2010/6/10


 陸奥宗光。名前は聞いたことがあるが、実態は定かではなかった。
 坂本龍馬や勝海舟と行動を共にし、龍馬の影として動乱の幕末を駆け抜け、明治政府でも外務大臣を務めるなど、大きな力を発揮する。

 とはいえ、今回はその前半生、宗光となる前の時代をメーンとして描いたおかげで、龍馬のいいとこどりになってしまったようだ。龍馬や海舟の片腕として活躍した、という結論になってしまいそう。
 というのも、歴史解説ルポルタージュを見ているような、あらすじを読んでいるような文体のせいもある。山場といえるものが少なく、淡々と事態が進行していくのだ。

 紀州藩執政として藩をきりもりしていた父が失脚、幼い牛麿、のちの陸奥陽之助は田舎暮らしで成長する。やがて江戸へ出て小次郎と名を改め、刀は苦手だが、勉学と逃げることだけは得意だという青年に成長する。ジゴロのような立場で生活したりして、女にも強いところを伺わせる。
 そのころ、幕末の波が、赦免された一家にも訪れ、父や兄と共に、江戸で脱藩浪人としての暮らしを続けることになる。そのときに出会った龍馬や海舟の薫陶を受け、神戸海軍塾の設立運営にいそしみ、やがて長崎の亀山社中にも参加し、蒸気船に乗っての上海交易などで世界の広さを実感していく。

 龍馬や海舟の視点で事態を見つめる小次郎改め陽之助は、やはり世界観がちがう。その拠って立つところが幕府や朝廷、はたまた薩摩長州土佐といった雄藩の動きをも理解したうえでの物の見方をすることが出来る。いわば超越した歴史家の目なのだ。そのあたりも、物語の抑揚に欠ける部分とつながっているのかもしれない。


 巻末近く、大政奉還から龍馬暗殺にいたる経過が駆け足で語られ、やはり昨年の大河ドラマに合わせた企画なのかなと思わせるところが辛い。
 続刊で明治時代の宗光の活躍が語られるらしい。それを待ちながら、というところか。
 

爺の読書録