2012年5月28日月曜日

解錠師は金庫を開き、未来を拓く

「解錠師」
〔ハヤカワ・ミステリ1854〕
スティーヴ・ハミルトン (著),
越前敏弥 (翻訳)

新書: 427ページ
出版社: 早川書房
言語 日本語
ISBN-10: 4150018545
ISBN-13: 978-4150018542
発売日: 2011/12/8


〈アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞/英国推理作家協会賞スティール・ダガー賞受賞〉プロ犯罪者として非情な世界を生きる少年の光と影を描き、世界を感動させた傑作ミステリ
けっして動かないよう考え抜かれた金属の部品の数々。でも、力加減さえ間違えなければ、すべてが正しい位置に並んだ瞬間に、ドアは開く。そのとき、ついにその錠が開いたとき、どんな気分か想像できるかい? 8歳の時に言葉を失ったマイク。だが彼には才能があった。絵を描くことと、どんな錠も開くことが出来る才能だ。やがて高校生となったマイクは、ひょんなことからプロの金庫破りの弟子となり芸術的な腕前を持つ解錠師になるが……MWA、CWAの両賞の他、バリー賞最優秀長篇賞、全米図書館協会アレックス賞をも受賞した話題作
<出版社からのコメント>
全米図書館協会アレックス賞は、ヤングアダルト世代に読ませたい一般書に与えられる賞。若い世代の方々にもぜひ手にとっていただきたい一冊です。

 主人公マイクルの一人称で語られる物語。
 マイクルは口がきけない。ある事件で負った障害の後遺症で言葉を話せないのだ。話そうとしないだけだという人もいる。それは自分でもわからない。
 だが、聞くことは出来る。相手に伝えるには筆談か手話、あるいは身振り手振り。そして、究極の伝達手段は絵だ。ただ、これはアメリアのためにだけ使う手段なのだが。

 ひょんなことから、鍵を開ける特技を身につけた。
 それが金庫破りとして悪の組織への入り口となる。

 ミスターGこと、「ゴースト」と呼ばれる手配師が仕事を斡旋してくる。
 それはポケットベルの色分けでランク付けされている。

 1999年の夏と、半年後の2000年初頭からその夏にかけて。ふたつの時間軸が平行して語られる。
 高校2年生の夏のとんだ出来事。はしゃいだ高校生たちのわるふざけに乗せられたために、町の有力者に目をつけられてしまう。その実力者の子供がアメリアだった。

 あるとき、ロサンゼルスの集団から依頼があり、彼らの若さや無鉄砲さにとまどいながらもそのプロフェッショナルぶりに感心し、仲間として片棒をかつぐことに。

 
 原題はロック・アーティスト。
 カギをあけることは未来を開くことと信じて、アメリアとの未来を模索する青年の成長物語。
 

2012年5月23日水曜日

くちびるに歌を、心には太陽、手には花束を

「くちびるに歌を」
中田永一

単行本: 285ページ
出版社: 小学館 (2011/11/24)
言語 日本語
ISBN-10: 4093863172
ISBN-13: 978-4093863179
発売日: 2011/11/24


書店員さん大注目作家・中田永一最新作!
長崎県五島列島のある中学合唱部が物語の舞台。合唱部顧問の松山先生は産休に入るため、中学時代の同級生で東京の音大に進んだ、元神童で自称ニートの美しすぎる臨時教員・柏木に、1年間の期限付きで合唱部の指導を依頼する。
 それまでは、女子合唱部員しかいなかったが、美人の柏木先生に魅せられ、男子生徒が多数入部。ほどなくして練習にまじめに打ち込まない男子部員と女子部員の対立が激化する。夏のNコン(NHK全国学校音楽コンクール)県大会出場に向け、女子は、これまで通りの女子のみでのエントリーを強く望んだが、柏木先生は、男子との混声での出場を決めてしまう。
 一方で、柏木先生は、Nコンの課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」にちなみ、十五年後の自分に向けて手紙を書くよう、部員たちに宿題を課していた。提出は義務づけていなかったこともあり、彼らの書いた手紙には、誰にもいえない、等身大の秘密が綴られていた--。
<編集者からのおすすめ情報>
すでに多数の作品を出されているある有名作家の別名義・中田永一氏の最新作になります。中田氏は、08年に「百瀬、こっちを向いて」で、単行本デビューし、各紙誌の年間ベストテンでランキングするなど高い評価を得ています。

 長崎県五島列島にある中学校。

 産休にはいったコーラス部の顧問。
 代用教員にやってきたのは絶世の美女。さきの顧問とは中学時代から友人だった。また、顧問の旦那とはなにかいきさつがあったようだ。
 代用教員目当てに入部して来る男子たち。
 コーラス部は分裂寸前だ。


 ふたりの中学生が交互に語る、合唱部の県大会出場のいきさつ。

 私は仲村ナズナ。母の死後、父は愛人を作って家出して、いまは祖父や祖母と暮らしている。その秘密を知っている幼なじみの向井ケイスケは、小学生のときにあげたラブレターをまだ持っているらしく、合唱団のメンバーにそれを知られたら大変なことになる。ところが、ケイスケはある女子が気になっているみたいで・・・

 僕は桑原サトル。小さいころから「ぼっち」の天才。影がうすく、存在感がないそうで、ひとりぼっちには慣れているというか、あえてひとりでいることを選んで来た。というのも、兄が自閉症で、その秘密を知られないために、人との付き合いをさけてきたのだ。だが、長谷川カオルの不思議な言動に惑わされているうちに、彼女が神木先輩と付き合っているという噂が聞こえてきた・・・

 ほかにも、指揮者の辻エリ、柔道部にも所属している三田村リクなど、彼らの活躍をみると、若さとはやっぱり素晴らしいと、爺は思ってしまうのだ。

 小道具としてのサクマ式ドロップ(途中に式がはいるのは知らなかった)も、結末で目を見張る活躍を遂げる。
 なにより、ナズナとサトルの兄とのつながりが、結末に至って判明する。ここは涙なしには語れないエピソードだ。
  
 中学生が合唱コンクールでアンジェラ・アキの曲を歌うために乗り越えていく障害の数々。
 アンジェラ・アキが好きな方、中学生の頃をいまだわすれていない方、なによりコーラスが好きなひとには是非とも読んでいただきたい一冊。

 

2012年5月20日日曜日

自爆条項とはなにか、それを超えるものは

「機龍警察 自爆条項」
月村 了衛

単行本: 462ページ
出版社: 早川書房
言語 日本語
ISBN-10: 4152092416
ISBN-13: 978-4152092410
発売日: 2011/9/22


軍用有人兵器・機甲兵装の密輸事案を捜査する警視庁特捜部は、北アイルランドのテロ組織によるイギリス高官暗殺計画を察知した。だが特捜部には不可解な捜査中止命令が。国家を超える憎悪の闇は特捜部の契約する“傭兵”ライザ・ラードナー警部の、凄絶な過去につながっていた―組織内でもがく警察官たちの慟哭と死闘。圧倒的なスケールと迫真のリアリティで重厚に描く、話題の“至近未来”警察小説。

 横浜港で荷下ろしするコンテナ船を調査していた警察官や税関職員が、荷役作業員の白人から逆襲される。犠牲者18人におよぶ無差別大量殺戮だった。そしてコンテナからは、組み立ての終わった完成形態の機甲兵装が発見されたのだ。

 近未来、パワードスーツによるテロを防御するべく、警視庁には、同じく機甲兵装による特捜部が配備されている。その3体の機甲兵装をあやつるのは姿、ライザ、ユーリの3人。
 昨年の「機龍警察」の続編。前回の事案から間もない頃、英国高官の暗殺計画を阻止すべく特捜部が動き出す。
 
 横浜港の事件では、背後に、ある組織の存在が浮かび上がる。それは前回事案に関係する人物の影だった。そして彼らは、IRFと手を組み、英国から訪れる高官へのテロを計画しているというのだ。
 だが、捜査を進めようとする本部に上層部から捜査禁止の命令が下る。沖津警視長は上層部からの捜査中止に反発、自らの意思で独自の捜査を開始する。

 そのとき、ライザのもとを訪れたのは、彼女をテロリストに育てたIRFの<詩人>ことキリアン・クイン。そして、<猟師><墓守><踊子>とあだなされる3人のテロリスト。彼らは裏切り者としてのライザを処刑すると予告して去って行く。
 
 今回、ライザの過去が明らかにされる。ベルファストで裏切り者マクブレイド家の子供として差別され続けて来た。そして大切な妹は悲痛なテロの犠牲となって言葉を失う。その引け目がライザを動かす。

 沖津はチェスの格言を捜査の基本方針に据える。
 「序盤は本の如く」
 「中盤は奇術師の如く」
 「終盤は機械の如く」
 
 ライザはシリアでテロリストとしての訓練を受け、<詩人>キリアンの命令のもと、ロンドンやアイルランドで死の翼を広げて行く。だが、その暗躍の犠牲者となるのが、特捜部の技術班主任・鈴石緑の家族だった。そして偶然の出来事がライザ自身を裏切り者にしてしまう。

 ライザの過去の章はまさしくジャック・ヒギンズ調。哀切きわまりない悲劇が、ライザを<死神>に変えて行く。
 
 終幕、テロリストの襲撃に対応して特捜部が出動。ここで「自爆条項」の何たるかが明らかになる。だが、その条項にはまだ裏があったのだ・・・・

2012年5月11日金曜日

リリエンタールの末裔は今も空を飛んでいる

「リリエンタールの末裔」

上田 早夕里

文庫: 328ページ
出版社: 早川書房
言語 日本語
ISBN-10: 415031053X
ISBN-13: 978-4150310530
発売日: 2011/12/8

海洋黙示録『華竜の宮』が大反響! 今もっとも注目されているSF作家による 初の本格SF短篇集『華竜の宮』の世界の片隅で空を飛ぶのを夢見た青年の信念を描いた表題作、18世紀の魔都ロンドンを描く書き下ろし中篇等4作

彼は空への憧れを決して忘れなかった――長篇『華竜の宮』の世界の片隅で夢を叶えようとした少年の信念と勇気を描く表題作ほか、人の心の動きを装置で可視化する「マグネフィオ」、海洋無人探査機にまつわる逸話を語る「ナイト・ブルーの記録」、18世紀ロンドンにて航海用時計(マリン・クロノメーター)の開発に挑むジョン・ハリソンの周囲に起きた不思議を描く書き下ろし中篇「幻のクロノメーター」など、人間と技術の関係を問い直す傑作SF4篇。解説:香月祥宏 カバーイラスト:中村豪志

「リリエンタールの末裔」
 空を飛ぶことを夢見た少年、となれば、古いブラッドベリの作もあったね。「イカロス・モンゴルフィエ・ライト」なんて作品を思い出す。
 地球は250メートルの海面上昇で破滅的な被害を受けた。再建されつつあるその世界の高知に住む民族は背中に鉤腕をもつ種族だった。子供たちは軽い枝と薄い布で作った翼を、その鉤腕でつかみ、5メートルの高さの丘からの滑空を楽しんでいる。
 そんなひとりの少年が、やがて街に出て、十数年後にそこそこの成功をとげ、ふたたび大空へ飛び立とうとする姿を描く。
 リリエンタールの名前は、羽ばたく飛行機を考えたダ・ヴィンチ、羽ばたかなくとも飛べるグライダーを作ったケイリーに続いて、自分でグライダーに乗った最初の男として登場する。

「マグネフィオ」
 事故で障害を負った恋人の心の中を磁性流体アートとして表現しようとする。そのネーミングが「マグネフィオ」。
 磁性流体アートの一部は、ネットでも見ることができる

「ナイト・ブルーの記録」
 有線無人探査機「ナイト・ブルー」で海底を研究する科学者。だが、彼はMMAS(ヒト機械同化症候群)にかかり、探査機の感覚そのものが自分の感覚だと思い込むようになる。

「幻のクロノメーター」
 わたしはエリー。父の仕事仲間だったジョン・ハリソンを訪ねてロンドンへのぼった。ハリソンは交易船団が必要とする経度を計るために必要な正確な時計を作るコンテストに何度も挑戦して優秀な結果を出していたけれど、未だにお役人はそれが気に入らない。彼が大工出身だということが差別になっているのかしら。
 あるとき、不思議な石が現れて、世界は奇妙な変化をとげていく。それはあなたの住む世界とは異なる世界につながっていくことになる。
 でも、ハリソンが残したクロノメーターはあなたの世界のネットでものぞくことができるので、いちど見てみるのもいいかもしれないわ。

 大きく変貌した世界を描いた前作「華竜の宮」の世界の一部を描いたタイトル作から、パラレルワールドの18世紀を覗き見ることができるクロノメーターの完成まで、SFの醍醐味が詰まった一冊。久方ぶりのSFに酔う。
 

2012年5月7日月曜日

奈良の平日は文化と水の音につつまれて

「奈良の平日 誰も知らない深いまち」
浅野 詠子

単行本(ソフトカバー): 250ページ
出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062170213
ISBN-13: 978-4062170215
発売日: 2011/11/1


町家カフェ、古都の近代化遺産、街角のお地蔵さん
海なし県の水辺の風景、隠れたうまいもの
今までになかった視点で歩く 世界遺産の隣にある奈良!

和菓子屋の角に「奈良ホテル近道」という小さな立て札を偶然見つけ、細い路地に誘われるように行ってみる。歩いてほどなくすると、法蓮格子(ほうれんごうし)の風情ある町家がぽつり。小さな看板をかかげていて、文化財の解説か何かだろうと最初は思った。ところがそうではなく、昔、元興寺(がんごうじ)の鐘楼に出没する悪い鬼を退治しようと坊さんが追いかけてきたが、このあたりで見失った。だからここは不審ヶ辻子町(ふしがづしちょう)と呼ぶ。そう書いてある。鬼を見失ったまちなんて、愉快な話だ。――<「まえがき」より>

遷都千三百年で再び注目を集める奈良。
地元紙記者出身の著者が、寺社・仏像だけじゃないディープなまちの魅力を紹介するこだわり紀行エッセイ。

 神奈川出身で、奈良の地方紙で記者を勤めていた女性が奈良を書く。
 いたって普通なんだけど、少しおもむきが違う。
 ガイドとなると、その地域をめぐって、この店、こんな歴史、それからもうひとつの蘊蓄という並びになるのが普通(?)ですよね?
 この本では著者が新聞記者として出会った、雰囲気とでもいうのか、魅かれるものに導かれて出会ったあれこれを、奈良全般に関連づけて記述していく。

 「きたまち」なんて言い方は知らなかった。東大寺の転害門から西の方角、奈良女子大学周辺まで、まちなみを残した一昔前が残る奈良を紹介。

 おなじみ「ならまち」と題された第2章では新薬師寺の本堂に自転車がしまわれていた、なんて話があって、そうそう、新薬師寺なんて、爺の若い頃は「大和の隠れ古寺」で、草ぼうぼうの荒れ果てた寺だったことを思い出す。

 「高畑の洋館秘話」では文化人たちの交流と新しい息吹を持ち込んで、今でもその雰囲気を維持している人たちの熱意がよくわかる。

 「まちなか地蔵さん」では、郡山城のさかさ地蔵やら夕日観音、法隆寺までまとめて話題に。

 「近代化遺産」と題された5章ではJR奈良駅旧駅舎を残してくれた先人への感謝の気持ちが素直に伝わって来る。今の東京駅を残そうとしている努力も確かに大変なものだろうが、残っていてこそ伝わるものがある、などと、年寄りの爺は思ったりするのだよ。

 「乗り物」ではめずらしい「駕篭」がでてきた。爺は見たことがないのだが、かごの高さから見た町並みというのもなかなか面白そう。いつも客引きに熱心な人力車や、はては生駒山上の飛行塔まで。生駒の飛行塔は軍隊に徴用されて監視塔として使われていたそう。地元民にしては知らない話で、これも興味深いものがある。

 「大和の水景」で出て来る民家の中にある「白水庵」。これには興味がわいた。いつか訪ねてみなければ。この章で出て来る富本銭最中は筒井の甘露堂本舗の銘菓ということで、ここはメモ代わりに残しておく。

 さて最終章は「大和の食べもの雑記帳」ということで、取材で出会った人たちとの打ち合わせで、記者仲間との飲み会で使ったあちこちの店が列挙される。奈良にうまいものなし、などと悪口はよくあるが、ひと味違ったグルメガイドとして、以下に店名とおおまかな所在地、ひとこと紹介を写しておくので、なにかの参考に。

 「三九みつまた」 新大宮駅前 気さくな割烹
 「あらき」 学園前 カウンター席
 「アスター」 同 洋菓子と喫茶
 「食房エスト」 同 フレンチ
 「SUENAMI」 大和郡山冠山町 レストラン くちなしの実
 「南果」 高畑 オーガニックランチ
 「みりあむ」 同 カレー、ケーキ
 「温石」  懐石
 「豆井」   豆腐料理
 「ろくさろん」 新薬師寺 喫茶 「村おこし」
 「春鹿」 純米大吟醸原酒「華厳」
 「八木酒造」 升平
 「まついし」 JR奈良 立ち飲み
 「雷来」 小西町 和洋創作ダイニング
 「ヒヤシンスカフェ」 南市 二次会
 「月吠」
 「ふりぽんぬ」
 「まんぎょく」
 「つる由」 ならまち 割烹 (鯛の皮揚げ、丸鯛の昆布じめ、焼き魚)
 「美吉野醸造」 花巴
 「魚志(うおごころ)」八木駅前
 「粋庵」 今井町
 「ウエダベーカリー」 大和高田内本町 たかだあんぱん
 「えとね」 富雄 フレンチ居酒屋
 
 ということで、メモがわりのブックレビューとはなったけれど、最後のメモには力が入ったと追記しておきましょう。
 

2012年5月3日木曜日

マルセルの横顔が見つめるものは


「マルセル」
高樹 のぶ子

単行本: 512ページ
出版社: 毎日新聞社
ISBN-10: 4620107778
ISBN-13: 978-4620107776
発売日: 2012/3/8

<恋愛小説の名手による絵画ミステリー
 その日千晶は、父が暮らしていた家を処分するため、神戸に来ていた。今年の2月、父は肝臓がんで亡くなった。母を知らず、ずっと父とふたりで生きてきた。父娘似たような性格が災いして突っぱね合っていたが、千晶はなぜか今、父と同じ新聞記者の道を歩んでいる。
 遺品を整理していると、父が病室にまで持ち込んでいたという2冊の大学ノートが見つかった。その中には、京都国立近代美術館で起きた、ロートレックの名画「マルセル」盗難事件の取材メモが。さらに、犯人と思われる人物が、父に宛てて送った絵はがきが保管されていたのだ。父はいったいなぜ、死ぬ間際までこのノートを手放さなかったのか。謎を追う千晶は、やがて若き日の父の姿と、自分の出生の秘密に迫ることになる。
 実際に起きた「マルセル」盗難事件をテーマに描かれた本作。恋愛小説の名手であり、芥川賞選考委員でもある著者が、初めてミステリーに挑んだ意欲作である。

 芥川賞作家が書くミステリー。
 随分前に平野啓一郎さんの「氾濫」を読んだ時にも思ったものだが、やっぱり純文学作家の文章は的確だ。無駄がない。こんなブログの適当なやっつけ言葉とは大違い。ま、比べる方が間違っているのだが。

 父の死後、神戸で実家の整理を進めていた千晶は、東京への帰途、父・瀬川謙吉が遺した手記に導かれるように京都で下車する。おりしも大晦日だ。雪が舞う中、手記にあった北白川へ向かう。そこで出会ったのは、演劇人希望のミシェル(美貝)、ギャラリーYOKOという店のオーナーの葉子、そして織物職人の画家オリオ。

 葉子の紹介で彼女の夫である画廊経営者の真丘永と出会い、元警官だったというバンドマンの松井との会話から、彼らすべてと父が関係していたことが判明する。父は今のギャラリーに建て替える前にあったアパートで暮らしていたというのだ。
 
 とんとん拍子に話が展開していく。
 ロートレック展が開催されていた京都国立近代美術館から盗まれた「マルセル」は7年後に発見されたが、そのいきさつを追求していた新聞記者の父は、犯行の跡をたどりながらここに行き着いたようだ。
 だが、ここで何が起こったのか?
 
 何かが起きる時は一斉に起きる。
 新聞連載は昨年の大震災をはさんで続けられている。
 何かが起こり、何かが終わった。だが、終わらないものがあり、そのなかを人はさまよい続けるのだろう。

 父の手記とパリからの謎の手紙に導かれ、マルセルを尋ねてフランスのアルビ美術館を訪れた千晶は、父が所持していたものと全く同じパーコレーターを見つける。
 そしてロートレックの故郷トゥールーズで明かされた謎は、思いもかけぬ人との出会いにつながっていく・・・

 コーヒーの香りと名画の陰翳にいろどられたミステリーを、どうぞご堪能ください。
 

爺の読書録