2010年5月23日日曜日

「波枕 おりょう秘抄」

「波枕 おりょう秘抄」
鳥越 碧

単行本: 346ページ
出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062160439
ISBN-13: 978-4062160438
発売日: 2010/2/19

  波枕、という響きがいいね。
おりょう、というのは楢崎龍。幕末の京都で町医者の娘として生まれ、勤王の志士たちとの交流のなかで坂本龍馬と出会い、新婚の彼を窮地から救い出し、日本初の新婚旅行をおこなったことで有名。例の寺田屋事件のときはもう結婚していたということは新発見というか再認識した。もっとも結婚とはいえ、志士たちの前で固めの杯を交わした、というだけなので、坂本家からはその事実も認めてもらえず、後の苦労にもつながるのだが。

さて、波枕。
中扉の裏に、おりょうの死の前年、明治38年に刊行された上田敏訳「海潮音」からの引用がある。

<海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕・・・>

「海のあなたの」と題されたテオドル・オオバネルという人の詩。山のあな・・・ってのはよく覚えているけど、海のあな・・・は知らなかった。とは失礼しました。
おりょうの中にはいつも龍馬がいて、ふたりで海の彼方をあこがれ、死ぬまでふたりだけの船旅を続けていたのだろうか、と思わせるタイトル。

明治5年の東京、夜半の嵐が吹き荒れるなか、行商からなかなか帰らない夫の松兵衛を待ちながら、おりょうの回想が始まる。
勤王派の町医者として志士たちから尊敬されていた父、その父が安政の大獄で捕らえられたときから家族の運命も様変わりしていく。自らも仲居として料亭で働きだし、志士たちとの交流がはじまる。そこで龍馬との出会い。自由奔放さを龍馬に見込まれ、自分も彼を忘れられなくなっていることに気付く。
突然のプロポーズ。幕府の目を逃れるためお春と名を変えて寺田屋で働きだすおりょう。そこで襲撃にあった龍馬に急を告げるため裸で風呂場を飛び出すシーンが有名。大河ドラマでも間もなくだね。
寺田屋で大けがを負った龍馬の療養のため、薩摩の小松さあの勧めで薩摩から霧島、長崎をめぐる旅に出る。これが日本初の新婚旅行といわれる。
そして馬関で居をさだめ、復活した龍馬の活躍を陰から見守るおりょう。だが、一夜、血にまみれた龍馬がおりょうの夢枕に立つ。ああ、あの人は殺されたのだ、とおりょうには分かってしまう。

ここからが後半。土佐の坂本家からは疎んじられたが、乙女姉との交流はそれぞれの妬心もあるものの女同士の理解が得られた。だが、経済的に行き詰まり、やがて東京と名を変えた江戸で最下層の生活を送ることになる。そこで、京都時代から知り合いだった松兵衛に救われた形で所帯を持つ。だが、ふたりの間には龍馬がいた。松兵衛にとっても龍馬は英雄でありあこがれだった。おりょうの陰には龍馬がいる。呪縛がふたりを包み込む。
龍馬とは3年、松兵衛とは30年を共に過ごすことになる。その30年をいつも龍馬の影と寄り添っていたのだろうか。たしかに折にふれ、思い出すのは龍馬の挙動でありその声、笑い声だった。だが、冒頭の嵐の夜のように、夫を気遣う妻としてのおりょうは確かにいた。

明治時代を酒におぼれて生き抜いたおりょうの悲しさ、つらさが身に染みる。
大河ドラマファンにもサイドストーリーとしてお勧めしたい一冊。

2010年5月16日日曜日

「グラーグ57」

「グラーグ57」<上・下>
トム・ロブ・スミス

文庫: 382ページ、356ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 4102169334
発売日: 2009/8/28

2010年度の『文春』4位、『このミス』6位。
昨年の1位だった 「チャィルド44」から3年後の1956年という設定。
グラーグとは本文でこう説明される。グラーヴノエ・ウプラヴレーニエ・ラーゲリ(強制労 働収容所、縮めてグラーグ)。ナホトカに近い?オホーツク海のそば?にある第57強制労働収容所のこと。では誰が収容されているのかというと、反逆罪に問われた人々。
だが、主人公のレオはいう。「国家が間違っていた、命令がまちがっていた」
前作の数年前に起こった事件から因果はめぐ る。彼は国家保安省の捜査官として反逆者を逮捕、投獄してきた。しかし、そのためには罠を用い、上司の命ずるままに「人民の敵」を投獄してきたのだ。それが誤りだったと発言したときから全てが敵に回る。同僚、上司、国でさえ自分を守ってはくれない。そして最大の敵はかつて自分が投獄した反逆者と呼ばれる人々。

その復讐の標的とされたのは自分と、妻、そして養女。養女を誘拐され、妻を人質にとられたレオは、グラーグ57に収容されている元司教を脱出させるべく、自身を犯罪者に偽装し囚人護送船で嵐のオホーツク海を渡る。囚人たちの反乱、あやうく沈没の危機に見舞われる護送船。ようやく辿り着いた、長い冬がまだまだ終わらないシベリアの果てで巡り会った元司教は自分を陥れた捜査官のことを決して忘れることはなかった。収容されている罪人たちが受けた拷問をすべてお前に科してやる。

だが、フルシチョフによるスターリン批判が公になると、その時点で立場が逆転した。収容所で反乱が起こり、囚人たちによる裁判がおこなわれる。所長は自己弁護する。「仕方のないことだった」。
レオは収容所の混乱のさなか、飛行機を奪って脱出する。そしてモスクワへの帰還。だが、妻や養女は使命にもとづきハンガリーへ赴いていた。

動乱のブダペストでの再会。テロリストとして活躍し始めた養女はソビエト支配からの脱 却のシンボルとしてニュースをにぎわせる。そこにソビエトの鎮圧軍がせまる・・・。

前作は悲惨な物語で、その続編ということで抵抗もあったが、今回もスピーディな展開は健在。なにより登場人物すべてに見せ場が用意されており、オールスターキャストによるノンストップアクションといったおもむき。次回作もあるそうで、乞うご期待。

2010年5月12日水曜日

「想い雲―みをつくし料理帖」

「想い雲―みをつくし料理帖」 (時代小説文庫)
高田 郁

文庫: 281ページ
出版社: 角川春樹事務所
ISBN-10: 4758434646
ISBN-13: 978-4758434645
発売日: 2010/03/18

鮎飯からは じまり、泥鰌、ジュンサイなど、季節の食物をとりまぜ、主人公の「澪」が考えだした「う尽くし」まで、水無月の風がわたる江戸の下町で、行方不明になって いる若旦那のてがかりが分かりそうになる展開の第一話。
八朔の町の賑わいに合わせて、江戸ではなじみのない鱧の料理を中心に話題がつづられ、吉原の用心棒が料理の助っ人にあらわれたことから、おさななじみの女友達とのたまゆらの交流につながる第2話。たまゆらって玉響と書くのだね。
同じ屋号の商売仇にめぐりあったことで、「三方よし」 の3のつく日に店でお酒を供するようになった澪の苦労話。澪がほのかにあこがれを抱く小松原があれこれと手をかしてくれる。8月の名月もすぎ長月のひと月を通じて店が活気を取り戻すまでの第3話。
第4話では前巻の末尾で澪たちの店に引き取られた幼い姉妹の事件を中心に、秋の深まりとともに物語も奥行きを深めてい く。そこにアクセントを置くのが柿のひと枝。
展開があざやかでテンポも早い。きわめて画像的な場面も多く、ドラマ、漫画への移植もまもなくか、と思えるような一巻。

2010年5月1日土曜日

「歎異抄の謎」

「歎異抄の謎」 (祥伝社新書 188)

五木寛之
新書: 224ページ
出版社: 祥伝社 (2009/12/15)
発売日: 2009/12/15

 ことしの最初に投稿した「親鸞」(上下)とほぼ同時に発売された、五木さんの親鸞解説。エッセイと五木現代語訳の「歎異抄」と原文、 そして文芸評論家川村湊さんとの対談と続く3本だて。

エッセイはニッカンゲンダイの連載を加筆構成したもの。いつもどおりの平易な言 葉で親鸞とその前後の宗教界を解説して、五木さん自身の体験からくる自己救済を模索する姿勢が貫かれる。

エッセイの次には、すでに単行 本化されている「私約・歎異抄」。
確かに小説の中で交わされる会話も この歎異抄から出ているのかと納得させられる。そ の後に原文歎異抄が続くが、これを原文で読んで理解できる現代人は何人いるのだろう。

そして対談では、謎だ謎だと謎を深めるのではな く、自身の中にある人間存在としての謎を追求することで親鸞の心に近づこうとする。文芸的にはコロニー帰りの文学者としてきれいにまとめてしまう。

「罪業深重の凡夫」という親鸞の自己評価がキーワードになる。
悲惨な引き上げ体験から自分は罪深い人間だと意識し、その罪を如何に昇華するべき か悩んでいる五木さんは、今の時代こそ「鬱の時代」であり、今の世にこそ親鸞の教えが活かされる、と力説する。

罪業と入力すれば変換し てくれる通り、一般の辞書にも登録されている。だが、罪業の深さは自分では判断できない。この世で犯した罪がどれほど深いものであっても、阿弥陀さまのお 慈悲があれば救っていただける。そうだろうか、と、われわれ凡人は思ってしまうが、そう思うことがすでに阿弥陀様の信号を受けていることなのだ。阿弥陀様 はいるのか、いないのか、と思うだけで、すでにそこにおわします、という逆説の中で、爺はさまよっておる。なもあむだぼ。

爺の読書録