2010年5月1日土曜日

「歎異抄の謎」

「歎異抄の謎」 (祥伝社新書 188)

五木寛之
新書: 224ページ
出版社: 祥伝社 (2009/12/15)
発売日: 2009/12/15

 ことしの最初に投稿した「親鸞」(上下)とほぼ同時に発売された、五木さんの親鸞解説。エッセイと五木現代語訳の「歎異抄」と原文、 そして文芸評論家川村湊さんとの対談と続く3本だて。

エッセイはニッカンゲンダイの連載を加筆構成したもの。いつもどおりの平易な言 葉で親鸞とその前後の宗教界を解説して、五木さん自身の体験からくる自己救済を模索する姿勢が貫かれる。

エッセイの次には、すでに単行 本化されている「私約・歎異抄」。
確かに小説の中で交わされる会話も この歎異抄から出ているのかと納得させられる。そ の後に原文歎異抄が続くが、これを原文で読んで理解できる現代人は何人いるのだろう。

そして対談では、謎だ謎だと謎を深めるのではな く、自身の中にある人間存在としての謎を追求することで親鸞の心に近づこうとする。文芸的にはコロニー帰りの文学者としてきれいにまとめてしまう。

「罪業深重の凡夫」という親鸞の自己評価がキーワードになる。
悲惨な引き上げ体験から自分は罪深い人間だと意識し、その罪を如何に昇華するべき か悩んでいる五木さんは、今の時代こそ「鬱の時代」であり、今の世にこそ親鸞の教えが活かされる、と力説する。

罪業と入力すれば変換し てくれる通り、一般の辞書にも登録されている。だが、罪業の深さは自分では判断できない。この世で犯した罪がどれほど深いものであっても、阿弥陀さまのお 慈悲があれば救っていただける。そうだろうか、と、われわれ凡人は思ってしまうが、そう思うことがすでに阿弥陀様の信号を受けていることなのだ。阿弥陀様 はいるのか、いないのか、と思うだけで、すでにそこにおわします、という逆説の中で、爺はさまよっておる。なもあむだぼ。

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