2012年1月31日火曜日

親鸞激動篇は、越後と常陸での布教と救いの日々


「親鸞 激動篇」 上下

五木 寛之
単行本: 306ページ、330ページ
出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062910063
ISBN-13: 978-4062910064
ISBN-10: 4062910071
ISBN-13: 978-4062910071
発売日: 2012/1/14

絶対に面白い! そして、感動する。
海がある。山がある。川がある。すべての人々に真実を伝えたい。流罪の地・越後へ向かった親鸞は、異様な集団の動きに巻きこまれる。
前作『親鸞』につらなる超大作

陰謀、因習、騒乱。しがらみの中で生き抜く、関東の人々の姿。かつて描かれたことのない中世の真実が、いま明かされる!
全国44紙・世界最大規模の新聞連載、ついに単行本化

 親鸞は妻の恵信とともに越後にいる。流罪人として直江津の近くの浜に住まいして、まもなく1年が過ぎようとしていた。念仏禁制によりひとびとに仏道を教えることができない親鸞は、おのれをたよることも、他者になにを授けることもできず、闇をさまようばかりだ。
 そこにゲドエンと人々から恐れられ、崇拝される異様な法力の持ち主・外道院金剛(げどういんこんごう)が現れる。人買いたちとのいざこざに巻き込まれ外道院の虜になった親鸞だが、その危機を救ったのは献身的な妻の恵信だった。
 
 昨年一年間、各地のローカル新聞に連載されたということで、新聞連載らしいテンポの速い、アクション満載の一篇になっている。そのなかでも、やはり東北大震災の後というイメージがつきまとうのは時代のせいだろうか。そのまま地震に恐怖するシーンもあるが、外道院金剛たちのアジトが干からびた河原にのりあげた巨船だというところは、何やら三陸海岸にいつまでも放置されていたタンカー船を彷彿とさせるものだ。
 
 越後守護代の横暴の犠牲になった少女を救いだしたが、その少女は神がかり的な超能力者として親鸞を守ることにもなる。
 守護代は雨乞いの祈祷を親鸞に命じる。それにかわり、7日間の念仏法要をすることになった。村の人々は冷たい視線で親鸞を見つめているが、やがて、それが何のための念仏なのか、を考え始める。
 
 雨乞い念仏のあと、守護代の悪だくみで河原ものたちが一掃されてしまうが、その光景もやはり地震や津波のイメージにつながっていく。流れ行く波の中を外道院の巨船が棺の筏を引き連れて越後の海へ逃れていくシーンが上巻の掉尾をかざる。
 
 下巻。
 法然の流罪がとかれ、やがて親鸞にも流罪免除の知らせがとどく。
 親鸞は越後にとどまり、村の人々に念仏の話を広め、村人たちの悩みを聞くが、念仏がその悩みを解決できる訳ではない。村人達の悩みを解決するてだては、念仏とはかかわりなく、思いもよらないところから訪れる。それをも、村人たちは念仏のおかげと信じ始める。
 ある日、法然の死を知らされ、親鸞自身は自分の念仏に自信がもてなくなってくる。
 やがて、子供が生まれ、流罪を解かれることになった親鸞に、東国から迎えが来る。それも、京都時代に仲間だった人々が豪族となって常陸の国で親鸞を迎えてくれるのだ。
 
 人々の集まりの中で法然の思い出を語り、今様をうたう親鸞は、自らの思いとはうらはらに人々に念仏の心を広げて行くことになる。
 
 下巻は関東に赴いた「悩める親鸞」が中心。
 「教行信証」の執筆を始め、法然の思い出を語りながら、さて、自分には、念仏には何が出来るのだろうと、常に悩んでいる。
 
 アクション担当は京都で若い日々をともにした仲間達だ。
 今は御家人となった香原崎浄寛を中心に、京都で一緒に悪者たちをこらしめていた弁才、犬麻呂たちがまわりをかためる。
 だが、山岳修業の山伏たちは親鸞を付けねらう。そのなかで弁円という山伏が親鸞を斬るために訪れたが、本気で殺害する意思がないことを親鸞に見透かされ、そのまま親鸞の弟子になってしまう。
 
 宇都宮家の領主・頼綱、その弟・稲田頼重の世話で稲田の地に住み着き、念仏の教えを語りかける日々。
 そこに京都時代からの悪縁である黒面法師があらわれ、黒念仏を広め、悪行の限りをつくし人々を呪い苦しめる。親鸞は、ここまで悪人となった自分でも念仏で救えるのか、という黒面法師の問いかけにこたえられず、ただ念仏をとなえるばかりだ。
 
 その危機を仲間達とともに切り抜けた親鸞は、そのまま常陸の国にとどまるのだが、妻の恵信は旱魃で悲惨な状況になっている実家の村の救助を手伝うために子供を連れて越後におもむくことに。
 ひとり、念仏の暮らしをつづけていた親鸞だが、やがて親鸞の心にも、ざわめきが起こる。
 そうだ、京へ行こう。
 
 さあ、第3部はいよいよ京都での活躍になりそう。
 いつ、この続きが読めるのかな。五木さんの健筆を祈念する。

2012年1月17日火曜日

待ち伏せ街道を抜ければ、そこにある謎は


「待ち伏せ街道」―蓬莱屋帳外控―
志水辰夫

単行本: 318ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 4103986077
ISBN-13: 978-4103986072
発売日: 2011/09/20



この女、一体何者なんだ――。磔も覚悟の道中に、疑念が湧いては消える……。
さる藩の江戸留守居役の奥方を西国へ逃がしてほしい――ご法度を承知で危険極まる注文を引受けた仙造。しかし、待ち受ける伏兵をかわしながら隘路を進むうち、女はしだいに本性を現わし始めた……。遥かな旅程を単独で歩き通す「通し飛脚」ならではの膂力と覚悟。山塊の向うに活路はあるのか!? 好評シリーズ第三弾!

「なまくら道中」
 蓬莱屋の鶴吉。まだ小僧扱いの奉公人・長八とともに、ふたつの重い荷物を江戸から信州善光寺まで運ぶことになる。仏像とその台座だというのだが、なにかあやしい。出立前夜にも同じような荷物が、依頼されたお寺から運び出されたのを長八が目撃していたのだ。そして待ち伏せていた男たちがいる。その仏像を横取りしようというのだ。江戸から中山道をたどり、浅間山を迂回して、という旅路が楽しい。だが、鶴吉と長八にとっては命がけの道中だ。善光寺を目前にした須坂の宿で燃え上がる結末とは・・・

「峠ななたび」
 吟二郎は蓬莱屋の用心棒として雇われていたが、今は町道場の剣術指南のほうが中心になっている。ある日、大名飛脚として書状の受け取りに赴いた兵庫で事件に出くわす。お家の大事なものを持ち出した女中を追跡している勘七という武士と道中を共にすることに。だが、琵琶湖の北、栃ノ木峠で雪に降りこめられ、すべてのつながりが明らかになったとき・・・

「山抜けおんな道」
 おなじみの仙造が託されたのは、さる西国大名の江戸留守居役が亡くなり、その奥方を上方まで送り届けるという役目。喜多八という用心棒とともに江戸から中山道をくだる。京都まで行って淀川くだりの舟に乗せればよいのだが、なにかおかしいぞ、この女。


に続く三作目。訳ありの荷物をはこぶ飛脚たちの活躍を描く蓬莱屋シリーズ。
 書名に「まちぶせ街道」とあるとおり、それぞれの作品には待ち伏せしている相手がいる。それが分かっていながら、待ち伏せの渦中に身を投じないわけにいかないところが、シミタツ節。
 その待ち伏せをかわして、謎が解明されたとき現れる真実がミステリー。
 

2012年1月14日土曜日

カササギたちの四季が世界を塗り替える


「カササギたちの四季」
道尾秀介

単行本: 283ページ
出版社: 光文社
ISBN-10: 4334927432
ISBN-13: 978-4334927431
発売日: 2011/2/19

開店して2年。店員は2人。「リサイクルショップ・カササギ」は、赤字経営を2年継続中の、ちいさな店だ。店長の華沙々木は、謎めいた事件があると、商売そっちのけで首を突っ込みたがるし、副店長の日暮は、売り物にならないようなガラクタを高く買い取らされてばかり。でも、しょっちゅう入り浸っている中学生の菜美は、居心地がいいのか、なかなか帰ろうとしない。この店には、少しの秘密があるのだ――。あなたが素直に笑えるよう、真実をつくりかえてみせよう。再注目の俊英による忘れ得ぬ物語。

 4編でつづられる一年の物語。
 ほんわかとした事件を、リサイクル・ショップ店長の華沙々木(かささぎ)が座右の書である「マーフィーの法則」をもとに、鮮やかに解決する。だが、その裏にはもうひとつの事実が・・・といった構成で、ややもすればルール違反の叙述がありそうだが、そこはそれ、直木賞受賞第1作という、はなやかで、けれん味いっぱいの作風をみせた才能を素直に喜ぼう。

 春 鵲の橋
 ブロンズ像放火未遂事件。倉庫にしまってあるブロンズの像が放火され、台座の木部が燃えてしまった。これでは売り物にならない。このブロンズを作ったのは近所の工作所のようだ。訳ありの事件を店長の華沙々木が見事に解決するのだが。実は真相は別のところにあった。

 夏 蜩の川
 秩父の木工所が家財道具をまとめて購入。配達に訪れた店長の華沙々木と日暮、そしてなぜか菜美。だがそこでは神木損壊事件が起こっていた。華沙々木はいつもどおり明快な推理でその謎を解いたのだが・・・

 秋 南の絆
 店に入り浸りの中学生、南見菜美との1年前の出会いを思い出す、華沙々木と日暮。それは両親が離婚してやりきれない思いを抱いていた菜美の家で起こった、猫のナーちゃん盗難事件だった。ナーちゃんはまもなく無事に帰って来たが、華沙々木はみごとにその謎を解き、菜美の尊敬を得ることに。だが日暮はその真相についてある秘密を持っていた。

 冬 橘の寺
 いつもガラクタを売りつけられる黄豊寺の住職からみかん狩りの招待が届く。クリスマスも終わった冬休みのある日、雪に閉じ込められた山寺で起こった、貯金箱損壊事件。寺の住職と息子の事情に共感を覚えた日暮の眼前に泥棒が現れ・・・

 ユーモアミステリという新しい分野に挑戦した道尾秀介。そこで奏でられる心優しい謎解きが楽しい一作。
 

2012年1月10日火曜日

「神君家康の密書」

「神君家康の密書」
加藤廣

単行本: 295ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 410311035X
ISBN-13: 978-4103110354
発売日: 2011/08/22

家康が応じた密約を胸に、天下を半日で決着させた猛将・福島正則。蛍大名と侮られつつ、強かな籠城戦で西軍主力を翻弄し逆転劇に道を拓いた京極高次――。仕掛けあう豊臣恩顧の大名たち、糸を引く家康の水も漏らさぬ諜報網。戦国覇道のキャスティングボートを握った武将たちが、日本を最大震度で揺さぶった三つの謀略秘話

「蛍大名の変身」
 昨年の大河ドラマでもおなじみの京極高次。蛍とは奥様のお初さん。奥方の尻の七光りで勢力を保っているホタルだ、などと揶揄されて、時の権力者からは正当な評価もされていない。そこに動乱の時代がくる。時代の波が関が原へとうねっていくとき、高次がやむなくとった行動が、思わぬ方向へ時代を進めていくことに。

「冥土の茶席」 ~井戸茶碗「柴田」由来記
 こちらも昨年の大河「お江」にまつわるサイドストーリー。茶の湯を武家の特権として利用しようとしていた信長が、論功行賞として柴田勝家に与えた茶碗。勝家と前田利家との数奇な運命の変転の裏側で、ひっそりと生き抜いて来た茶碗が、越前落城とともに三姉妹に託される。前夜のうちに市と娘たちとの別れと形見分けはすまされており、そのシーンが思い出される。そして勝家自身から、娘たちへの形見として茶碗が与えられた。叔父信長から巡り巡って茶々のもとにやってきた茶碗は、茶々の持参品として秀吉のものとなる。それが、家康に取り入ろうとする秀吉の気まぐれで、秀忠の側近・青山氏に下げ渡された。
 有為転変、茶碗は今、渋谷の根津美術館に所蔵されているという。こちらは根津美術館のホームページから、井戸茶碗・銘「柴田」。



「神君家康の密書」
 豊臣家の家臣として秀頼を守り抜くと誓っていた福島正則。家康は秀頼安堵の誓い状を書くという。それならば、と関ヶ原では東軍の利のために働き、豊臣家の安泰に寄与したつもりであったが、戦後は広島に移封される。大阪の陣ではなす術もなく落城を見守ることになったが、家康の密書を手掛かりにして再起をはかる。それは戦国武士としての最後の矜持であり、意地の張り合いでもあったのだ。

 キーワードは「落城」。そして、意地。女の意地、男の意地が落城を超えて時代を作って来た。
 

2012年1月5日木曜日

法然親鸞一遍をいっぺんにわかろうとして

「法然親鸞一遍」
釈 徹宗/著

単行本: 189ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 4106104393
ISBN-13: 978-4106104398
発売日: 2011/10/20


法然と親鸞が一遍でわかる、究極の一冊!
"悟り"ではなく"救い"の道を----。仏教のベクトルに大転換をもたらし、多くの支持を得た日本浄土仏教は、いかにして生まれたのか----。念仏を選択し、凡人が救われる道を切り拓いた法然。「その念仏は本物か」と問い続け、「悪人」のための仏道を説いた親鸞。「捨てる・任せる」を徹底し、遊行の境地に達した一遍。浄土宗・浄土真宗・時宗の三祖を比較し、それぞれの「信心」に迫る。注目の僧侶による、画期的浄土仏教論!

 実は年末から体調不良が続いていて、年末の30日にはついにダウン。朝からうつらうつら、夜になって少し理解力が戻ってきた間に、前回アップした東野作品を読了。
 そして新年。
 まあ、正月は電車に乗らないので、まとまって読むこともなかろうと、短い作品に挑戦。

 それがこれ。
 入荷したときに、たまたま見つけて、ずっと借りっぱなしの新潮新書。
 この1月なかばには五木さんの「親鸞・激動篇」が出るので、復習と事前準備を兼ねての一冊。

 法然。信心は称名念仏とともに形成されていくとして宗教行為の実践を主軸とした。
 親鸞。その信心とは「如来よりたまわりたるもの」と表現。
 一遍。念仏も信心も無用。

 この一冊がなかなか難物。薄い新書だからとあなどってはいけない。しっかり勉強させていただきました。(?)

 比較宗教学というらしい。
 それぞれの宗教思想を絶対視するのでなく、比較することで解読する。
 その中ではやはり親鸞への言及が多い。著者が大阪の浄土真宗のお寺の住職なのだから、当然か。

 一遍については、あまり知らなかった。
 時代的には、法然の没後、親鸞も67歳になった頃に生まれている。遊行念仏というのはどこかで聞いて覚えていた、その程度だ。
 だが、やはり法然、親鸞の世界から逃がれられない。念仏も信心もいらない、といいながら、その底には今の鎌倉仏教を形成した2代先達に対する畏敬がどこかにあったに違いない。

 あらためて、親鸞の偉大さに感動した正月。
 南無阿弥陀仏。 

爺の読書録