2010年7月28日水曜日

ぐるっと一回転すれば世界が変わって見える

「夜行観覧車」
単行本: 336ページ
出版社: 双葉社
ISBN-10: 4575236942
ISBN-13: 978-4575236941
発売日: 2010/6/2

中学生の彩花の、家庭内暴力につながりかねない癇癪発作の場面から物語は始まる。私立中学受験に失敗しておちこぼれと評価されているのではないかと常に引 け目を感じている彩花には、この高級住宅地に紛れ込んだ町一番の小さな家そのもの、パート勤めで自分を責めてばかりいるような母、室内装飾業者でパッとし ない父、そのいずれもがうとましい。
癇癪の波がおさまった直後、向かいの高橋家から悲鳴が聞こえる。
高橋家の、同い年の慎司という中 学生は、いま話題のアイドルによく似た顔立ちで彩花はひそかな憧れを抱いていたが、母の年甲斐もないアイドル贔屓も癪にさわるところがあり、同級生のバス ケ部員からも一目置かれている彼には対抗心とはいえぬ、引け目からくるイヤミをいったことがある。
その高橋家で事件が起こった。悲鳴の後、救急車や警察がおとずれ、時ならぬ騒ぎになる。医師である慎司の父親が、妻に殴り殺されたというのだ。

この本には栞ひもが2本ついている。場面や登場人物がややこしくて2本使うこともあるのかな、と思ったりしたが、ストーリーは時系列が相前後することもあるが、ほぼ直線的に進む。2本使うことはなかった。
これまでの湊作品とは異なり、三人称で綴られる物語。
彩花の、家庭での暴力傾向、学校で受ける意地悪、高橋姉弟に対するやっかみと、事件発生での鬱憤晴らし。
彩花の母・真弓の、彩花から受ける家庭内暴力、それにも関わらず、娘に対する愛情と家庭維持にかける情熱との板挟み、家のローン返済のためのパート先での被害者意識。
慎司の、バスケ部への情熱と母から期待されることからくる重圧のはざまでの苦衷、それを助けてくれるのが、頭脳明晰な腹違いの兄。その兄を頼りにする実の姉・比奈子も、慎司に対する疑念をもちながら、姉弟としての愛にめざめていく。

ふたつの家族と、近所のおばさんがそれぞれ、気にかけながらも距離をおいて接しつつ、その距離がきわめて密接に交わったとき、事件は意外な展開を見せる。
家族から頼りないと思われ、家族関係から一歩引いていた彩花の父親が突然見せた行動。離れて下宿生活をしている慎司の兄も、世間離れした研究者から世俗の世界に戻り、おとなの対応をみせて適切なポイントを稼ぐ。

事件としては、よくある話かもしれない。
父親が被害者で母親が加害者―。
ストーリーはそれに巻き込まれた姉弟と、周囲の人物がおりなす、それぞれの家族の物語。
圧巻は巻末の週刊誌報道。よくぞやったり、と言いたくなる。
近所のおばさんのつぶやき。「観覧車がぐるっとひとまわりして下りてきたときに、景色が違って見えるだろう」という通り、目の前で景色が反転する瞬間が楽しめる。

2010年7月23日金曜日

亜梨沙は夢から醒めたのか。未来はどっちだ?

「スリープ」
乾 くるみ

単行本: 323ページ
出版社: 角川春樹事務所
ISBN-10: 4758411611
ISBN-13: 978-4758411615
発売日: 2010/06/30

羽鳥亜里沙(はどり・ありさ)という14歳の美少女が主人公。IQ140にしてテレビ番組のリポーターも務める。中学生ながら高校卒業以上の学力を持ち、高校3年間を無為に過ごすことに戸惑いを覚えている。などと、少女マンガそのままの導入部。

亜里沙はアモルファス氷を応用した冷凍睡眠装置の開発が行われているという「未来科学研究所」に取材に訪れる。氷のガラス化、アモルファス氷の概念はすでに冷凍食品などで実用化されているというのを「カンブリア宮殿」でみたことがある。
そこで亜里沙は、人体を分子レベルで数値化できるという高解像度MFTスキャナーの第一号被写体として、乞われるままにその装置の内部にはいった。そこで意 識が途切れ・・・、

目が覚めたのは30年後の世界。同い年だった少年が、44歳になったノーベル賞科学者として亜里沙を冷凍睡眠から復活させ たのだと解説する。

というタイムワープもののSFか、と思わせるが、ここに大きな仕掛けがある。

30年後の世界では、亜里沙の復元は公表されないまま、所長と研究者が行方不明になった事件が発生したということで、軍が極秘捜査を始める。
研究所で何が起こったのか、行方不明になった所長はどこに行ったのか、静脈認証システムを追跡すると、30年前の少女が忽然と姿を現し、逃亡したことが分かる。
亜里沙と同じくTVリポーターとして活躍していた「鷲尾まりあ」は、30年後の世界では軍の機密部隊でサイバー部隊として出世している。その部下に「貫井要美(ぬくいいるみ)」という著者の分身ともいうべき女性軍人がおり、二人による亜里沙追跡劇が物語の半ばを占める。
逃亡した亜里沙は数日をかけて30年後の世界になじんでいくように見えるが、体内組織はそれを裏切っていく。細胞の再生が思い通りにいっていない。やはり無理な科学なのか。

そこで、物語は急展開する。読者は「???」となること請け合い。

いきすぎた科学と宗教というテーマも背景にあるが、未来では科学の進歩は極端に進まず、格差社会が進展し、一部の裕福層だけが僅かな技術進歩を享受しているという現実が痛々しい。
年末のミステリーベストに顔を出すことは確実な一冊。

2010年7月10日土曜日

「小暮写眞館」

おめでとう、2010年度文春ミステリーベスト第7位。


「小暮写眞館」
宮部みゆき



単行本: 722ページ
出版社: 講談社
ISBN-10: 4062162229
ISBN-13: 978-4062162227
発売日: 2010/5/14


昔は写真館だった古びた屋敷に引っ越して来た花菱一家。長男の高校生、英一が主人公。彼は家族からも、友人たちが呼ぶのと同じように「花ちゃん」と呼ばれている。まだ小学生の弟、光は「ピカ」だ。この古家には、亡くなった写真館のご主人の幽霊が出るという噂も。冒頭、花ちゃんのもとに謎の高校生から心霊写真が持ち込まれ・・・

 とお決まりのように始まるのだが、この作品、ホラーではない、ミステリーでもない。たしかにミステリー仕立てともいえる手法だが。
宮部ワールド全開で、登場人物のそれぞれの絡み方が面白い。
念がこもった写真の謎を解くことが物語の中心となるのだが、その過程で、花ちゃんとその家族、友人、周囲の人々との関わり、とりわけ、その相手の背景がこと細かく描かれていく。人物が生きて動き出すと言われる所以である。
親友のテンコこと店子力(つとむ)、コゲパンとあだ名されるテナーサックス女子、そして鉄道ファンの集まりや、あやしげな実験映画を作っているメンバーなど、魅力的な登場人物だ。不動産屋の従業員である順子さんが大きな比重を占める頃になると花ちゃんも大きく成長を遂げている。


表題作から「世界の縁側」「カモメの名前」と続く3篇にはそれぞれ心霊写真めいた、その場には関係ない人物や物体が写し出された写真が登場するが、4篇目の「鉄路の春」では、花菱家4人に重くのしかかるひとつの「念」が描かれ、その解放にいたるカタルシスで幕を閉じる。そして700ページのこの本を閉じて改めて表紙の写真をみたときに、一度行ってみたいな、と思うのはじじいだけだろうか。
 ご丁寧なことにこの小湊鐵道の正面写真がブログにされている。興味のあるかたはどうぞ。

爺の読書録