2012年10月30日火曜日

東京プリズンに囚われていたのは

「東京プリズン」
赤坂 真理

単行本: 441ページ
出版社: 河出書房新社
ISBN-10: 4309021204
ISBN-13: 978-4309021201
発売日: 2012/7/6

 


戦争を忘れても、戦後は終らない……16歳のマリが挑んだ現代の「東京裁判」を描き、朝日、毎日、産経各紙で、“文学史的”事件と話題騒然! 著者が沈黙を破って放つ、感動の超大作。

 2009年、東京にいる「私」のもとに電話がかかってくる。それは1980年のアメリカにいる「私」からの電話だった。救いを求める私はそうしてコレクトコールの電話をかけた覚えがあった。
 そして「私」は、「私」をめぐる記憶の旅に出る。
 
 主人公は15歳でアメリカにホームステイしている「マリ」。10月のある日、友人に誘われてハンティングに行く。そこでヘラジカを撃ち、その肉を分け合い、ステイ先の家族と一緒にステーキにして食べる。そのときのハンティングでは連れが誤って子鹿を撃ってしまう。子鹿を殺すのは州法にふれる罪だ。みんなでその罪を隠してその罪を分け合うために、一緒に行った仲間達は子鹿を解体して、それぞれが遺体の部分を始末することになる。マリには耳の部分があてがわれ、マリはその耳を箱にいれて庭の片隅に埋める。
 そしてハロウィンの翌日、マリは16歳になった。

 現代の日本の「マリ」は40台のなかばになり、再婚した夫とともに千葉に住む作家である。子供はいないのだが、過去からのマリの電話にはマリの母親だと偽って返答する。現代のマリも、自分の母が東京裁判で通訳をしていたことを知り、巣鴨プリズンがあった場所や、極東軍事裁判がおこなわれた場所をさがしてさまようことになる。

 16歳のマリは学校の発表会で「日本について」発表するようにという課題を与えられる。マリは古くからの日本文化をテーマにしようと考えるが、校長はこういう。「真珠湾攻撃から戦争を経て天皇の降伏宣言があったことこそ、大事なテーマだ」。アメリカではそれこそが日本を表すものであるらしい。

 天皇の降伏。
 16歳のマリには実態がつかめない。教科書にのっているのは二重橋の前で正座して泣き崩れる人々の写真。ここはどこにあるのだ、とマリにはなにも分からない。その都度、東京の母に聞いてみる。二重橋は皇居よ、そこは江戸城だったところ。母は自分の体験以外にも、祖母から聞いた話を教えてくれる。
 アメリカの資料には、天皇の玉音放送を録音したレコードや原稿の写真などが残されている。その放送を聞いた日本人たちは、天皇の肉声というものを初めて聞いたのだ。

 そこでマリは思う。なぜ、私は日本が降伏したことをきちんと教えてもらっていないのだろう。今の日本人は日本の敗戦をどうして大切なものとして残してこなかったのだろう。終戦記念日とはいうが、何を記念しているのだ。
 そしてディベートが行われる。マリは練習では天皇の戦争責任を否定する立場で、本番では肯定する立場での役割を担う。
 
 先にヘラジカの耳のエピソードがあり、解体したヘラジカの肉を食べたことで、その肉が自分の体の一部になっているという意識がつきまとう。
 マリの夢想のなかで、ヘラジカがときおり現れる。それは大君であったり、アメリカの原住民の王であったりする。
 その夢想のなかでは、ベトナム戦争で枯れ葉剤の被害者となった結合双生児も現れる。アメリカを否定する立場で結合双生児はマリに語りかけ、応援するともなく、マリの言い分を聞く。
 ママとの電話は未来への電話であるとともに、現代に生きるマリには過去の自分への応援メッセージでもあった。過去からの電話は、劇場に入る時に通る、緞帳の掛けられた小さな部屋の役割を果たすのだ。

 イエスの家系など考えられないのに、天皇には万世一系といわれる家系図が残る。神の家系図とは何なのだろう。
 天皇は神に奉られただけなのだ。天皇の人間宣言とは、米軍占領下でのアメリカの思惑が潜んでいないか。
 そして天皇機関説。天皇はエンペラーでなく、あくまでTENNOUである。
 日本人は関東大震災と空襲による焼け野が原を似通った風景として記憶している。それは民間人を犠牲にしようとしたアメリカの戦略だ。 広島、長崎、そしてベトナム。アメリカの民間人虐殺は、アメリカの神の仕業なのだ。日本軍は、あくまで民間人の虐殺などしたことがない。日本の神は虐殺などしない。

 ディベートで、マリはそう訴える。それが真実なのだ。だが、日本人はそんなアメリカの神を受け入れた。その結果が現代の日本につながっている。そして今の日本人は、戦争に負けたこと、天皇が神だったこと、アメリカに占領されていたことに触れようとしない。そんなことはなかったかのようにふるまう。

 
 日本人は太平洋戦争の敗戦いらい、アメリカとの関係について、何かに囚われていたのだろうか?
 それは一体何なのか。
 プリズンから抜け出すことはできるのか?
 

2012年10月22日月曜日

置かれた場所で咲きなさい、そうしましょう

「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺 和子

単行本: 159ページ
出版社: 幻冬舎
ISBN-10: 4344021746
ISBN-13: 978-4344021747
発売日: 2012/4/25

 
Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。
著者について
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、89年三木記念賞受賞。ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長。現在、ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』『美しい人に』『愛と励ましの言葉366日』『幸せのありか』『マザー・テレサ 愛と祈りのことば<翻訳>』(以上、PHP研究所)他多数がある。

 去年、岡山の居合道全国大会に行ったときに、ノートルダム清心学園の前を歩いたことがあった。新幹線を降りて、岡山の球場やサッカー競技場がある総合グラウンドに向かうにはちょうど通り道に当たっている。著者の渡辺シスター(Sr.)はそこの理事長だということで、ほほう、そうだったの、という感じ。

 さて、新書だが、見開き2ページから3ページにわたってひとつのテーマが書かれている。なるほど、PHPなんかでよく見かけるショートエッセイのスタイルといえば分かりよいかも。2ページの文章の後に1ページでそのテーマの要約が書かれている。
 したがって、総ページ数の割には内容はほぼ四分の三ということになるかも。行き帰りの電車の中で読めてしまう。

 そのなかで心に残った珠玉の言葉を。
 「むくいを知らず、朝も夜もよろこんで仕える、ぞうきんになりたい」=という内容の詩がある
 「王さまのご命令。王さまは私の心だ」=これも若者の詩だ。心の声とは自分の本音でもある。
 「私の微笑みは神様のポケットにはいったのだ」=こちらからの愛想が受け止めてもらえないときにはこう思おう。
 「親の価値観が子供の価値観をつくる」=下の言葉にも通じる。親が自分の価値観で子供を縛り付けることがあってはならない。
 「こどもは親の言う通りにならないが、『する通り』になる」=親の背中を見て育つ。
 「まず考え、感じ、その後に行動する」=その逆に、行動して感じその後に考えていては野生の動物だ。
 「笑顔でいると何事もうまくいく」=とはいえ、それが出来ないときもおおいけどね。
 「大切なのはカルカッタに行くことでなく、あなたちの周辺にあるカルカッタに気付くこと」=マザーテレサの言葉だそうな。
 「毎日が『わたしの一番若い日』」=きょう以後はどんどん更けていくのだ。いまが、今日がわたしの一番若い日だと信じて行動しよう。85歳の渡辺Sr.にして、こうおっしゃる。
 「○○しか出来ない、でなく、○○なら出来ると評価する」=たしかにマイナス評価よりプラス評価が人を育てるのはよくわかる。
 
 人を信用するのは98パーセントまで。あとの2パーセントはその人が失敗したときのために保留しておこうということらしい。ひとは神様ではないのだから。神様は100パーセント信用できるのだろう。あやまちと人が感じるのは神様の過ちではないらしい。それが試練というものなのだそうだ。
 
 キリスト者としての信念に裏付けられた言葉の数々。
 そのまま取り入れるのかどうかは人それぞれ。
 なにを今さら、などと思ってしまう爺なんかにはおよそ神様は救いの手を差し出してくださらないだろう。そう思う。
 

2012年10月20日土曜日

裏閻魔は今も闇をさまよっている

「裏閻魔3」
中村 ふみ

単行本(ソフトカバー): 365ページ
出版社: エイ出版社
ISBN-10: 4777923746
ISBN-13: 978-4777923748
発売日: 2012/6/29

 


昭和三十二年――京都で夜叉との再会を果たした閻魔は、戦時中に姿を消した奈津が沖縄に渡ったことを知らされる。アメリカ統治下の沖縄に密航した閻魔だったが、そこに奈津の姿はなかった。
一方、夜叉は、不死者を狙う皆藤浩一郎に追いつめられていた。浩一郎の目的は、〈不老不死〉の科学的な解明。己の寿命を悟った夜叉の脳裏によぎる、かつての自分が犯してきたいくつかの罪。そのなかには戦時中、奈津の運命を変えたある邂逅もあった……。
同じ頃、奈津が綴った手紙によって閻魔もすべての真実を知る。
時を超えて求め合う三つの運命が交錯したそのとき、百年の愛が動きだす……。『裏閻魔』三部作、いよいよ感動の最終巻!

 これまでの2巻はこちら。

 裏閻魔
 裏閻魔2


 昭和32年から昭和41年。
 もはや戦後ではないといわれた頃から、東京五輪が開催され、ビートルズが来日するまでの、日本が高度経済成長への足がかりをつかんだ、そんな時代。死ぬことができない男2人と、それに関わってしまった人々の物語。
 
 今回、皆藤浩一郎という「悪ガキ」が閻魔と夜叉を翻弄する。
 皆藤の曾祖父は閻魔こと一之瀬周(あまね)を新選組に手引きした男であり、その因縁が今になって復讐譚に結びつく。
 いやなガキだ。京都にいた夜叉をつけねらい、あわよくば誘拐して、その体組織を手に入れて不死の研究をしようとする。
 あるいは製薬会社の跡取りとして、閻魔を見つけ出し、研究に名を借りた自分の野望を果たそうとする。一旦はガキの手に落ちたものの、そこから抜け出そうとする閻魔の凄まじい行動は、まさに劇画の世界でもあるが、なんのことはない、昨今はハリウッド映画にも出て来るようなアイデアになってしまった。
 巻末、製薬会社の研究所でのアクションは、結局ふたりの不死の男を結びつけることになる。

 あわれな奈津は今回、大事な役回りを果たす。
 これまでは閻魔の思い人でありながらそれをはぐらかし、自分でも閻魔への気持ちをもてあましながら、ついに老婆となり、閻魔を思いながらも最後に一目だけでも、と思いをつのらせている。
 その奈津が沖縄にあって、これが最後と、自分の気持ちを、出すあてのない手紙にしたためていく。それが戦時中の思い出であり、今の自分の変わり果てた姿の真相だった。
 その手紙が過去と現在をつなぎ、エピソードがからみあう。
 最後の最後に閻魔と過ごした何か月かの思い出を胸に、奈津は逝ってしまうが、これは約束事でしようがない。

 そして、夜叉と閻魔。
 姉を殺した下手人として夜叉を追っていた閻魔だが、夜叉も罪滅ぼしのつもりか、閻魔や奈津のために行動する。あるいは皆藤の追求の手がふたりに及ぶことが原因なのか、ついついお互いにそれとなく、共通の敵に対して共同戦線を張ることになっていく。
 巻末、皆藤の研究所に囚われた夜叉を救出しに行く閻魔は、浩一郎などとは桁違いのパワーを発揮し、ついには皆藤を殲滅してしまう。
 
 幕末の昔から閻魔と夜叉を保護してきた牟田家は、養子の惠子の時代になり、高度経済成長にともない会社はますます発展している。
 そして平成の今、惠子の孫娘・志信(しのぶ)が高校生になっている。その志信が渋谷で、家にある閻魔の写真とそっくりな男の人を見た、と惠子に報告にくる。「もし、その人が困っていたら、牟田家の総力をあげて助けてあげて」と惠子は孫娘に託す。
 
 堂々たる大団円。
 3部作の完結。この世界のどこかで鬼を持つ男たちが未だに闇をさまよっていることが暗示され、味わい深い幕切れとなった。
  

2012年10月16日火曜日

きみはいい子だ、みんないい子なのに

「きみはいい子」
中脇 初枝

単行本: 318ページ
出版社: ポプラ社
言語 日本語
ISBN-10: 4591129381
ISBN-13: 978-4591129388
発売日: 2012/5/17


夕方五時までは
家に帰らせてもらえないこども。
娘に手を上げてしまう母親。
求めていた、たったひとつのもの――。

怖かったのも、
触れたかったのも、
おかあさんの手だった。


読みながら、震えた。
ものすごいことが書かれている。
震え、泣き、それでも確かな希望が胸に灯る。
人間を信じよう、という気持ちになる。
          ――宮下奈都(作家)


それぞれの家にそれぞれの事情がある。
それでもみんなこの町で、
いろんなものを抱えて生きている。
雨は降りつづいていた。
まるで世界中を覆うような雨の中で、
あたしたちはぬれもせず、ひとつの部屋に一緒にいた。
ホットケーキのにおいにつつまれて。
あたしたちは、小さな水たまりの中にいるのかもしれない。
泣くことを禁じられて育ったあたしが流した、涙の水たまり。(本文より)

<サンタさんの来ない家>
 ぼくは新人教師の岡野。1年生をあずかったときも6月になったら学級崩壊になってしまった。翌年は4年生。夏休みが終わったいまも、どうもうまくいかない。そんなときに気になる生徒がいた。
 給食を楽しみに学校へきている神田さん(男子)。どうも、ごはんを食べさせてもらえるのは夜だけのようだ。休みの日も学校に来て、一日中、うさぎ小屋の前にいる。
 神田さんは、「ぼくが悪いから、おかあさんも、パパとはちがうおとうさんもぼくのことを怒る」という。「ぼくがわるいから、ぼくの家にはサンタさんが来ない」
 ぼくはクラスのみんなに宿題を出すことにした。それは、家族の誰かに抱きしめてもらう、ということだ。だが、神田さんは・・・

<べっぴんさん>
 はなちゃんママはやぼったい。景品のバッグなんかも平気でぶらさげて公園に来る。
 わたしは、ママ友から、あやねちゃんママと呼ばれている。でもわたしは、あやねをいじめるのを自分では止められない。公園のわたしと、家にいるわたしは別人だ。そんなわたしをはなちゃんママは「べっぴんさん」と呼ぶ。
 わたしのママはわたしを抱きしめてくれたことがない。よろこんでくれたのはテストで100点をとったときの1回だけだ。おみそしるをこぼしたときは18回たたかれた。コップを割ったときは21回。抱きしめてなんくれず、うかうかしているとたばこの火を押し付けられる。だから、わたしもあやねをたたく。あやねがおかした間違いの数だけたたく。髪の毛をつかんで放り投げる。
 それが、はなちゃんママにばれてしまった。はなちゃんママは自分の幼いときのことを教えてくれた。自分も母親にいじめられていたこと。近所のおばあちゃんが、べっぴんさんとよんでくれるのがうれしかったこと。だから、自分もひとにべっぴんさんといってあげたい。

<うそつき>
 ぼくが生まれ故郷で土地家屋調査士事務所を営業を始めて、もう15年。自営業なので自治会やPTAの役員などをまかされることが多い。
 息子の優介は4月1日生まれだ。同学年で一番ちいさいということだ。優介が5年生の夏、転校して来た、だいちゃんと仲良くなった。それがしょっちゅう家に遊びにくるようになった。
 6年生になって、優介は、だいちゃんはうそつきだと言い出した。
 だいちゃんは、おかあさんが殺されて殺した人がまま母になってやってきて、今度はだいちゃんを殺そうとしてごはんを食べさせてくれないのだという。
 だいちゃんの笑顔の裏にはなにがあるのだろう。
 サッカーの試合を見に行ったり、海でバーベキューをしたりするうちに、だいちゃんはすっかりたのもしくなった。
 さて、家内のミキは、卵の黄身がきらいでよくそれをぼくに押し付けてくる。ぼくも黄身は苦手だが、うそをついて、その黄身をたべてあげる。それはミキの母親から頼まれたことだった。
 だいちゃんもうそをついて皆の心配をさせないようにしている。
 優介はじゃんけんでいつも最初にパーをだすのだが、だいちゃんはときどきじゃんけんに負けて、優介のわがままにつきあってやってくれる。
 そして中学校の入学通知が届いて、もうすぐ優介たちの旅立ちのときだ。
 たとえ別れても、2度と逢わなくても、幸せなひとときがあった記憶がそれからの一生を支えてくれる。

<こんにちは、さようなら>
 80をすぎた今になって、思い出すのはかあさまのこと。戦争中の学徒動員でキャラメルを作っていたこと。かあさまの銘仙をほどいてお手玉をつくったこと。
 そんなわたしに通学途中の小学生がいつも、あいさつをしてくれる。
 「こんにちは、さようなら」と礼儀正しい。
 ある日、スーパーでお金を払ったつもりで、払わずに出て行ってしまったことがあって、それ以来、店員さんの目つきが気になって仕方がない。
 雨が降った日、いつもあいさつをしてくれる小学生が、道にたたずんでいた。聞けば、おうちの鍵を無くして家に入れないのだという。「鍵をかしてください」「わたしの家の鍵ではあなたのおうちには入れないのよ。しばらく遊んで行きなさい」
 男の子は櫻井弘也くんという。
 そしてお手玉で遊ぼうとしたが、放り上げたお手玉はなぜか次のお手玉を手にする前に床に落ちてしまう。こんなに年を取ったのだ、と実感する。
 連絡がついて、ひろやくんのおかあさんがやってきた。「すみません、この子は障碍があって。ご迷惑をおかけしませんでしたか」。そのひとはスーパーの店員さんで、わたしに冷たい視線を向けていたひとだった。
 「いいえ、いい子ですよ。礼儀正しい優しい子です。いつもおかあさんをうらやましく思っていました」
 戦争中、防空壕へ非難するのは高等女学校の生徒が先で、高等小学校の女子は間に合わずに焼け死んだことがあったことを思い出したりした。
 みんな、そんなことを知りながら、生き延びるために、知らないふりをして生き延びて、そしてわたしはひとりぼっちになってしまったのだった。
 ひろやくんはおかあさんにたずねられて言う。
 「しあわせは、晩ごはんを食べておふろに入ってふとんに入っておかあさんにおやすみを言ってもらうときの気持ちです」
 たたかれ、おとうさんに棄てられ、おかあさんに殺されそうになって、それでもひろやくんは仕合せの意味を知っていた。

<うばすて山>
 妹の美和から電話で、母の入所の準備が整うまで、3日間だけ母を看てくれ、と頼まれる。
 母は妹をかわいがり、わたしのことはいつもたたいていた。お風呂にはいって数を数え間違うと顔を沈めたりしたこともある。7はきらいな数字だった。そのころは6までかぞえて、7が出て来ないのでいつも顔をつけられていた。だから、7はラッキーセブンではなく、黒いイメージだ。8も、9もそうだった。
 そんな母は、今は自分が誰かもわからない。文代だから「ふうちゃん」と呼ばねばならない。わたしのことは「かよちゃん」だが、娘だとはわからない。「みわちゃんの友達のかよちゃん」なのだ。それも、聞かれるたびにそう教えねばならない。
 おしめをしていても、なにかの拍子におもらししてまわりを汚している。
 少しコンビニに買い物に行っている間に、台所の流しに着ていた服を詰めて部屋を水浸しにしてしまった。汚れたものを脱いでお風呂に入ろうとしていたようだ。
 ご飯はいつ食べたかも覚えていない。ご飯は、と聞かれたら、これから作ります、と答える。妹にそう教えられたのだ。
 大阪の大学にはいって家から離れて以来、母のことは妹にまかせてきた。わたしは家から離れられる事でようやく自分を持つことができたのだ。そんなキャリアウーマンのわたしに比べて、妹は母とつきっきりで人生を過ごしてきた。
 ようやく、老人施設への入所の準備がととのい、ふるさとの駅に向かった。なつかしい友人たちの顔も浮かんできたが、ここで、母を置き去りにすれば、という考えも浮かんできた。この電車がうばすて山になる。そう思って、思い切って母を残してホームに降り立った。だが、母は・・・
 
 悲しい物語だ。
 つらい事件が報道をにぎわしているが、報道されないところでもいろんな事件が起こっている。いや、事件とはいえない日常の中にも、こんなにつらい毎日を送っている子供たちがいる。
 子供たちだけではない、大人たちだって、なにかを隠しながら、なにかを正したいと思いながら、悩みながら毎日を過ごしているのだ。
 それが解決できるときが来るのだろうか。
 この作品の中では、かすかな光が垣間見えるエンディングが救いになってはいるのだが、それがあまねくすべての人々に訪れることはあるのだろうか。
 絆とか思いやりとか、おおげさな言葉でひとをつなぐのではなく、人を優しくほっとさせることができるのなら・・・

 

2012年10月14日日曜日

追撃の森を抜け出したブリンを襲う災厄とは

「追撃の森」
ジェフリー・ディーヴァー・著
土屋 晃・訳

文庫: 572ページ
出版社: 文藝春秋
言語 日本語
ISBN-10: 4167812061
ISBN-13: 978-4167812065
発売日: 2012/6/8


通報で森の別荘を訪れた女性保安官補ブリンを殺し屋の銃撃が襲った。逃げ場なし――現場で出会った女を連れ、ブリンは深い森を走る。時は深夜。無線なし。援軍も望めない。2人の女vs2人の殺し屋。暁の死線に向け、知力を駆使した戦いが始まる。襲撃、反撃、逆転、再逆転。天才作家が腕によりをかけて描く超緊迫サスペンス。

 ごくふつうの警官、と著者が表現する女刑事ブリン。
 彼女とミシェルという若い女性が悪人どもの追跡を振り切って逃げる、という話。

 悪人の方はハートとルイスの二人組み。
 ハートのほうはプロの殺し屋だが、ルイスはどうも間が抜けたように描かれる。

「こちら・・・」といっただけで途絶えた電話。
 不審な通報を受けた警察が、念のために、と非番で自宅にいたブリンに確認を求める。
 夫はポーカーに出掛けるというし、ほんの2、3時間のつもりで母親に息子の世話をたのみ、ブリンは湖畔の別荘地帯に向かう。

 だが、そこで夫婦の射殺死体を発見する。ひそかに警察に戻ろうとしたブリンは謎の男たちの襲撃を受け、車は湖に転落、銃と通信手段を失ってしまう。

 森に潜んだブリンは被害者夫婦のゲストに招かれていたというミシェルと出会い、ふたりで男たちから逃げることになる。

 その後は、見つかる、逃げるの繰り返し。
 罠を仕掛ける。仕掛けたように見せかける。アンモニアを使った待ち伏せ。
 逃げたと思わせて、背後に潜む。
 湖へボートで乗り出すとみせかけてそれを射撃させたり。
 がけを降りたと思わせ、そのまま転落したかのような仕掛けをほどこす。

 襲撃者たちもさるもの。とくにハートはブリンの思惑を察知し、追撃の手をゆるめない。
 その間、警察ではブリンの報告がないことに不審さを感じる。
 そこにブリンの夫の携帯電話に、同僚だと偽るハートからの電話が届く。
 怪しさを察知した警察は、ただちに捜索を開始。

 一方、ブリンたちはキャンピングカーで生活している家族たちに出会う。だが、彼らはある理由で世間から身を潜めている家族だった。
 そこにハートが追いつく。
 ついに対決のときが訪れたのだが・・・

 前半、追いつ追われつのどんでん返しがエンディングを迎えたとき、驚くべき逆転劇が訪れる。
 さすがディーヴァー、ただでは済まさない。

 そして第2部、それぞれの復讐劇が始まろうとするとき、すべての謎が明らかになり、おさまるべきところに収束していく。このカタルシスがなによりだ。

2012年10月8日月曜日

ナミヤ雑貨店の奇跡は人をつなぐ

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」
東野 圭吾

単行本: 385ページ
出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
言語 日本語
ISBN-10: 4041101360
ISBN-13: 978-4041101360
発売日: 2012/3/28
  


夢をとるか、愛をとるか。現実をとるか、理想をとるか。人情をとるか、道理をとるか。家族をとるか、将来をとるか。野望をとるか、幸せをとるか。
あらゆる悩みの相談に乗る、不思議な雑貨店。しかしその正体は…。
物語が完結するとき、人知を超えた真実が明らかになる。


 

第一章 回答は牛乳箱に
 強盗にはいり、そこで盗んだクルマが故障してしまったあげくに、翔太、敦也、幸平という3人の若者が忍び込んだのは、廃屋となっている雑貨店。朝までそこに潜んでいようというのだ。
 だが、そこに玄関から手紙が放り込まれる。差出人は「月のうさぎ」。来年のオリンピックにそなえてもっと練習時間をとるか、病気の恋人を看病するか、悩んでいるのだという。返事として、気の向くまま自分の考えを書いた返事を裏の牛乳ポストに入れたのだが、そのとたん、また玄関から手紙が舞い落ちる。その内容は自分が書いた返答に対する反応だった。牛乳ポストにいれた返答の手紙はなくなっている。
 手紙のやりとりの中で、この悩み相談の手紙は30年以上前の1979年から届いていることがわかる。最近見た映画は「エイリアン」。いま流行っている歌は「いとしのエリー」なのだそうだ。
 この家には別の時間が流れている―そう気がついた3人は、悩みの主に何かアドバイスをしてみたくなる。
 2度、3度と手紙のやりとりが続く。オリンピックの夢をとるか、恋人の看病という愛をとるか。
 最後の返答には「オリンピックなんかあきらめて、恋人との時間を大切にしなさい」と答えを書く。何故なら、翌年行われるオリンピックとは「モスクワオリンピック」なのだ。その大会には日本からは選手団が参加しないことを、3人は知っていた・・・
 
第二章 夜更けにハーモニカを
 松岡克郎、ミュージシャンになる夢を捨てられず、父の反対を押し切って大学中退。だが、目が出ない。ちいさな店のあとをついで、魚屋ミュージシャンとしてギターをひきながら「丸光園」という児童保護施設の慰問演奏を続けている。
 そんな松岡の相談は、音楽を続けるべきか、魚屋で終わるべきか、だった。
 返事はつれないものだった。「魚屋を継げ」。現実をとるか、理想をとるか。
 ある年のクリスマス、丸光園で演奏していたとき、一人の少女が、今までなんの反応もしめさなかったのに、「再生」の演奏を始めたとたん、急に反応を示した。オリジナルの楽曲「再生」は自信作だ。
 やはりミュージシャンの夢を捨てられない松岡は改めて相談の手紙を出す。
 そのときの返事は、次に手紙を入れるときに、雑貨店の前で演奏してくれ、というものだった。
 雑貨店の前で演奏したあと、回答の手紙を見ると、「音楽は続けなさい。あなたの曲は永遠に残る」というものだった。
 その返事に自信を得た松岡はその年のクリスマス、再び「丸光園」で慰問演奏をおこなうのだが、その夜・・・
 
第三章 シビックで朝まで
 浪矢雄治の息子・貴之。おやじが道楽で始めた、雑貨店での相談ごっこ。はじめは子供たちの、とんち遊びに似たものだった。「テストで100点を取りたい」「先生に、あなたについての問題を作ってもらいなさい。それなら、100点取れるでしょう」。そんなやりとりを店の表に貼り出していたのだ。
 だが、その相談は徐々に深刻なものになってくる。そんなときは夜通し考え事をしている雄治の姿を、貴之は見ていたことがある。個人的な返事はその人あての封筒に入れて裏の牛乳ポストにいれておく。相談したひとは自分宛の封書を持ち帰るというシステムができあがった。
 年をとり病気がちになった父親を引き取り、東京で暮らそうと貴之は誘うのだが、父親は頑としてうけいれない。人情をとるか、道理をとるか。
 そんな父親が、がんになり、店もたたむことになった。それから何年かたった。
 死期が近づいたとき、父親は、もう一度店に行って、朝までそこで過ごしたいといいだす。貴之は父親を店にいれ、自分は送って行ったクルマの中で一夜を過ごす。そしてその朝方、届いていた膨大な封筒の山を見てびっくりする。
 

第四章 黙祷はビートルズで
 和久浩介は中学生。友人とともにビートルズに夢中だ。家では立派なオーディオ装置をもち、同級生のみんなから羨望の目で見られている。
 だが、そんな和久家が夜逃げすることになった。父親の商売がうまくいかなくなったのだ。
 夜逃げする前に、浩介は雑貨店に相談の手紙を書く。ぼくは家族と一緒に逃げるほうがよいのか、あまりうまくいっていない家族とは別に自分の人生を選ぶ方がよいのでしょうか。家族をとるか、将来をとるか。
 相談の返事は「家族とともにいなさい」だった。
 だが、富士川サービスエリアで父母のクルマから逃げ出し、ヒッチハイクで東京に戻ってしまう。そして警察に保護され、藤川博というあらたな戸籍をもつことになった。
 新聞の報道では、母と自分はクルマごと海に沈み、父は首を括って死んだという。
 浩介は児童保護施設「丸光園」で育てられる。
 そして現在、育った町を訪れた浩介は、ビートルズ専門のバーに辿り着く。そこで見つけたのは夜逃げするときに親友に買ってもらったレコードだった。バーの経営者はその友人の妹だったのだ。
 バーではビートルズの過去のフィルムを上映している。浩介は、自分も夜逃げの直前に見た「レット・イット・ビー」を改めて見てみる。そのとき、過去の自分が見た時とは違う印象を抱く。
 家族がばらばらだと感じていたときに見たその映画は、演奏がまとまらず、各自が勝手に演奏しているように見えたのだが、いま、それを見ていると、まったく違うように見えるのだ。

第五章 空の上から祈りを
 武藤晴美の相談は、アルバイトしている水商売で名を上げるか、今のまま、うだつのあがらない事務員の仕事を続けるか、どちらをとればよいのか、という内容だった。
 3人の最初の回答は「水商売などやめなさい」だった。
 野望をとるか、幸せをとるか。
 晴美はホステスの仕事で知り合った男と駆け落ちする仲になったのだが、邪魔がはいり実現できなかった。
 今の晴美は現在の「丸光園」を正しい経営状態に戻すために努力している実業家だった。
 その財産を狙って3人の若者が晴美の実家を狙う。だが、その結果は・・・
 3人の強盗たちは晴美のバッグから手紙を入手する。それはナミヤ雑貨店あてに書かれたお礼の手紙だった。
 
 こうして、丸光園の関係者たちの間にひそかなつながりが生まれる。
 3人の強盗たち自身が丸光園出身だったことも明らかになり、晴美ともつながりがあったこともわかる。その合間に「再生」という歌があり、ビートルズの曲がつなぐ人々のかかわりがあざやかに結びつけられて、堂々たるエンディングを迎える。

 強引な設定だが、時を旅する手紙は、ある使命をおびて時代を飛び交ったのだ。SFめいた設定の作品も多い東野さんの傑作。
 

2012年10月1日月曜日

白ゆき姫殺人事件はネットの怖さを描く

「白ゆき姫殺人事件」
湊 かなえ

単行本: 280ページ
出版社: 集英社
言語 日本語
ISBN-10: 4087714594
ISBN-13: 978-4087714593
発売日: 2012/7/26


疑惑の女性の周囲をとりまく、「噂話」の嵐
「あの事件の犯人、隣の課の城野さんらしいよ…」美女OLが惨殺された不可解な事件を巡り、一人の女に疑惑の目が集まった。噂が噂を増幅する。果たして彼女は残忍な魔女なのか、それとも──。

 T県T市にある、しぐれ谷の雑木林で遺体が発見された。全身十数カ所を刃物で刺されたあと、灯油をかけて火を付けられていた。
 被害者は三木典子。<日の出化粧品>のOLだった。

 日の出化粧品は日の出酒造の子会社。米ぬかで作る化粧品を売り出し、今や「白ゆき石けん」が大ヒット商品になっている。
 三木典子はその美貌から会社では「白ゆき姫」と言われていた。
 そして、典子の同僚、城野美姫(しろの・みき)が事件直後から行方をくらましている。週刊誌の報道やネットなどでは、典子と対立していたとみられる美姫が犯人ではないかという情報があふれ、世間はそのうわさを信じるようになっていく。

 美人と、そうでもない同僚が同じ職場でいたら、あり得るような話・・・
 日の出化粧品の関係者の話、記者が取材するインタビューなどで構成されていく。

 <狩野里沙子>
 典子とは、日の出化粧品ではパートナーと呼ばれる新人教育でコンビを組んでいた。典子の2年後輩。カレ氏である記者・赤星雄治と電話で情報を交換する。
 美人の典子は社内でも誰からも慕われ、憧れられる存在だった。
 典子と対抗する美姫のまわりで起こる数々の事件。半年前から盗難が相次いでいる。誕生会のケーキの残りが誰かに食べられている。女子のトイレの棚から生理用品が無くなっている。典子が大事にしているバイオリニストのキャラクターグッズである5000円もするボールペンも盗難にあっていた。

<満島栄美>
 里沙子の同期。城野美姫がパートナー。週刊誌「週刊英知」の記者である、典子のカレ氏のインタビューに答えて行く。
 このとき、すでに、警察は美姫を犯人として捜索しているようだ。
 美姫は特徴がない人だ。お茶のいれかたがうまい。篠山係長と関係があった。スピード狂だ。笑うと別人のような表情になる。典子の机の引き出しをのぞいていた。

<篠山聡史>
 典子と美姫の上司である係長。美姫に弁当を作ってもらっていたが、あるとき、玄関横のポストにカレーが入っていたときから、別れることにした。実は付き合い始めた典子に、それを見咎められたのだ。

<美姫の故郷の人々>
 徐々に美姫のうわさが盛り上がって行く。
 記者は美姫の故郷にも探索の足を運ぶ。そこで聞き及んだのは、美姫には「呪いの力」があったといううわさだ。
 少女時代に社を燃える事件があったが、そのとき、美姫は人型に切った紙に針を突き刺し、それを燃やしていたというのだ。
 だが、美姫を擁護する証言も現れる。幼なじみは、いじめられていた自分を助けてくれたという。
 美姫の父は、自分の浮気が原因で娘が事件を起こしてしまったと訴える。

 週刊誌の記事や、ネットのコミュニティサイトの記事が巻末に納められ、それを参照しながら読み進むことになる。いわば3Dミステリーだね。これまで、2冊ほど、しおりひもが2本つけられている作品があったのだが、今回ほどそれが必要なときに、それがない。しっかりしろよ集英社。
 
 さて、事件はひと月後、あっけない幕切れを迎える。
 人々のうわさがネットで増幅され、週刊誌で裏付けされる。その怖さが表現されている。
 「いやミス」などと評価される湊さんだが、いろいろな手法をためしながら、ミステリの方向を考えているみたい。
 こんごとも、よろしくお願いします。
 

爺の読書録