2012年10月22日月曜日

置かれた場所で咲きなさい、そうしましょう

「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺 和子

単行本: 159ページ
出版社: 幻冬舎
ISBN-10: 4344021746
ISBN-13: 978-4344021747
発売日: 2012/4/25

 
Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。
著者について
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、89年三木記念賞受賞。ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長。現在、ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』『美しい人に』『愛と励ましの言葉366日』『幸せのありか』『マザー・テレサ 愛と祈りのことば<翻訳>』(以上、PHP研究所)他多数がある。

 去年、岡山の居合道全国大会に行ったときに、ノートルダム清心学園の前を歩いたことがあった。新幹線を降りて、岡山の球場やサッカー競技場がある総合グラウンドに向かうにはちょうど通り道に当たっている。著者の渡辺シスター(Sr.)はそこの理事長だということで、ほほう、そうだったの、という感じ。

 さて、新書だが、見開き2ページから3ページにわたってひとつのテーマが書かれている。なるほど、PHPなんかでよく見かけるショートエッセイのスタイルといえば分かりよいかも。2ページの文章の後に1ページでそのテーマの要約が書かれている。
 したがって、総ページ数の割には内容はほぼ四分の三ということになるかも。行き帰りの電車の中で読めてしまう。

 そのなかで心に残った珠玉の言葉を。
 「むくいを知らず、朝も夜もよろこんで仕える、ぞうきんになりたい」=という内容の詩がある
 「王さまのご命令。王さまは私の心だ」=これも若者の詩だ。心の声とは自分の本音でもある。
 「私の微笑みは神様のポケットにはいったのだ」=こちらからの愛想が受け止めてもらえないときにはこう思おう。
 「親の価値観が子供の価値観をつくる」=下の言葉にも通じる。親が自分の価値観で子供を縛り付けることがあってはならない。
 「こどもは親の言う通りにならないが、『する通り』になる」=親の背中を見て育つ。
 「まず考え、感じ、その後に行動する」=その逆に、行動して感じその後に考えていては野生の動物だ。
 「笑顔でいると何事もうまくいく」=とはいえ、それが出来ないときもおおいけどね。
 「大切なのはカルカッタに行くことでなく、あなたちの周辺にあるカルカッタに気付くこと」=マザーテレサの言葉だそうな。
 「毎日が『わたしの一番若い日』」=きょう以後はどんどん更けていくのだ。いまが、今日がわたしの一番若い日だと信じて行動しよう。85歳の渡辺Sr.にして、こうおっしゃる。
 「○○しか出来ない、でなく、○○なら出来ると評価する」=たしかにマイナス評価よりプラス評価が人を育てるのはよくわかる。
 
 人を信用するのは98パーセントまで。あとの2パーセントはその人が失敗したときのために保留しておこうということらしい。ひとは神様ではないのだから。神様は100パーセント信用できるのだろう。あやまちと人が感じるのは神様の過ちではないらしい。それが試練というものなのだそうだ。
 
 キリスト者としての信念に裏付けられた言葉の数々。
 そのまま取り入れるのかどうかは人それぞれ。
 なにを今さら、などと思ってしまう爺なんかにはおよそ神様は救いの手を差し出してくださらないだろう。そう思う。
 

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