2012年6月27日水曜日

信長死すべし、と思った男たちは

「信長死すべし」
山本兼一

単行本: 402ページ
出版社: 角川書店
言語 日本語
ISBN-10: 4041101883
ISBN-13: 978-4041101889
発売日: 2012/6/1


武田氏を滅ぼした織田信長は、正親町帝に大坂遷都を迫ろうとしていた。帝の忍耐は限界に達し、ついに重大な決断を下す。天下統一に王手をかけた信長を、造反に至る明智光秀など周囲の動きの中から炙り出す歴史巨編。
本能寺の変まで、残り三十八日。「信長を粛清せよ」天正十年夏。正親町帝の密勅が下り、日本史上もっとも濃密な時が流れた。運命の六月二日、本能寺の変に向けて―。明智光秀をはじめ、近衛前久、吉田兼和、勧修寺晴豊、里村紹巴、徳川家康ら、織田信長を取り巻く人々の動きから、本能寺の変を炙り出す歴史巨編。

 天正10年4月22日。
 正親町天皇は信長の野望の一端を垣間見る。京を焼き払ってでも大阪に遷都させるというのだ。そんなことはさせられない。前から憎し憎しと思っていた信長に、今回ばかりは愛想が尽きた。その心に芽生えたのは「信長死すべし」の言葉だった。

 信長ものは面白い。
 とはいえ、散々書かれているから目新しい工夫が必要。今回のご本で山本さんが選んだのは、周囲の人々の動きや思惑から信長の最後の日々を描くこと。

 近衛前久は信長ファンだったが、正親町帝には逆らえない。
 吉田兼和は亀甲占いの託宣を立て、光秀こそ誅殺にふさわしいと選ぶ。
 勧修寺晴豊は公家として、その作戦をバックアップする。
 連歌師の里村紹巴は近衛に頼まれ、光秀に暗殺計画をもたらすが、自分からはとても言い出せない。
 徳川家康は公家衆になにか不穏な動きがあることを感じるのだが・・・
 
 そして明智光秀。還暦を過ぎ、なにか疲れたところに、最近、信長の勘気が重荷になっていた。そこへ近衛が重大な陰謀をもたらす。
 「信長死すべし」の言葉は天皇家を重く見る光秀には、主人を裏切るというより日の本を救う一言でもあった。

 天正10年6月1日、正親町帝や近衛の不安がつのる中、深夜、京の街中に火の手が上がる。
 6月5日、光秀は天皇家からの勅を受ける。そこには武家の争いをよく鎮めてくれたという褒め言葉しかなかったのだ。帝からの勅で討ち果たしたはずが、いつのまにかすり替わっている。いまや、光秀は主殺しの大罪人なのだ。
 そのうえ、中国から京へ大返しで戻って来る秀吉ほかの軍勢を迎え撃たねばならない。
 6月13日、天王山に銃声が轟いた。

 それぞれの思惑が重なり合った本能寺の変。ミステリー仕立てともいえる心理小説はいかがかな。

2012年6月19日火曜日

フランクを始末するにはまだまだ修行が・・・

「フランクを始末するには」
アントニー・マン (著)
玉木 亨 (翻訳)

文庫: 302ページ
出版社: 東京創元社
言語 日本語
ISBN-10: 4488242057
ISBN-13: 978-4488242053
発売日: 2012/4/27


フランク・ヒューイットは芸能界の大スター。殺し屋の“わたし”は彼の殺害を依頼され……。二転三転するスター暗殺劇の意外な顛末を描いた英国推理作家協会短篇賞受賞作のほか、刑事の相棒に赤ん坊が採用され一緒に捜査を行う「マイロとおれ」、買いものリストだけで成り立つ異色作、ミステリ出版界の裏事情を語る一篇など多彩な12作。奇想とユーモアあふれる傑作短篇集をお楽しみください。解説=野崎六助

 さて、このブログは通勤途上で読んだ本が主な紹介対象。
 長編は続けて読めるのだが、ときおり、調子にのって読み進んだおかげで時間があまったりすることがある。こういうとき短編集は重宝する。とくにこういう超短編、おまけに変化にとんだ作品ばかりで、長編小説のあいまに読んでも、どちらにも影響しないというのはありがたい。

 この画像を見て頂こう。
 本作品の英語版表紙。


 「マイロとおれ」milo and i
というのが、原題。
 赤ん坊と刑事が一緒に事件の捜査をするというとぼけた話だが、そのハードボイルドさと人を食ったおちゃらけさがみごとに表現されている。
 テディベアに向けられた銃口、警察のIDカードをおもちゃにする子供。困惑する刑事の顔が出て来ないが、想像するだに面白い。
 作品集全体がこんな調子。

 12編あるのだが、日本版タイトルの「フランクを始末するには」には、今のTV業界、マスコミ業界への皮肉がもられていて、日本人好みの一作だなと納得。

 どこかでふれられていたのだが、「買いもの」という作品など、買い物リストだけで事件が発生してその起承転結が見事に想像出来るという希有な作品。これだけでも立ち読みすれば、面白いと思われる。

 立ち読みはともあれ、この短さで、それなりに内容が濃い作品ばかり。いやはや、世界にはいろんな作家がいる、とあらためて感心。
 

2012年6月17日日曜日

未踏峰を越えて、目指すものは何か

「未踏峰」
笹本稜平

単行本: 352ページ
出版社: 祥伝社
言語 日本語
ISBN-10: 4396633262
ISBN-13: 978-4396633264
発売日: 2009/10/27

  
圧巻の山岳シーン、骨太の人間ドラマ。著者渾身の感動長編!
ここで逃げたら、
死ぬまで人生から逃げ続けることになる――
ハンデを背負った三人の若者と、
未来を手放した伝説の登山家。
運命の出会いが、「祈りの峰」への扉を開く。
ヒマラヤを舞台に、人間の希望を描く感動長編!
<夢を持て。生きている、ただそのことを喜びに変えられるような――>
自分がこの世界で生きた証として、たとえ名もない頂でも、そこに人類初のアイゼンの爪痕を残すこと――。
そこから得られる利益などなにもない。初登頂の栄誉は、登った者の胸の裡だけに刻まれる。
本来、すべての登山がそうあるべきなのだ。いや人生そのものがというべきかもしれない。
(本文より)

 5月に文庫化され、あらためてレビューが出ていたので、あわてて読むことに。
 初版は2009年9月。その時にも触手が動いてはいたのだが、機会を逃してしまっていた。

 山岳小説は久しぶり。山岳ミステリーなどは多々あったが、純粋に山登りを描いた作品という意味では長らくご無沙汰だった。
 山登りそのものというより、山に行く動機がメーン。
 橘裕也。ある事情で会社を去り、社会からドロップアウト。パウロさんに拾われた形で山荘で働いていた。そこでサヤカと慎二に出会い、リーダーとして山に向かう。
 戸村サヤカ。アスペルガー症候群を持つ料理の天才。予定された行動なら問題ないが、急に派生した事象に対応できないことがある。
 慎二。小学生の知能程度だが、穏やかな人柄で、力は人並み以上。そして絵の天才。
 そして蒔村康平の遺骨。洗礼名はパウロという。彼の遺骨を山頂に撒くつもりだ。

 彼らが目指すのはビンティ・チュリ。ネパール語で「祈りの峰」。人は誰もその頂に立ったことがない「未踏峰」だ。パウロが経営し3人が勤めていた八ヶ岳の山荘はビンティ・ヒュッテという名前だった。そこに運命的なものを感じた彼らは徐々にそのヒマラヤの山にあこがれを抱くようになる。
  
 蒔村は世界的に有名なアルピニストだったが、引退して山荘を経営していた。そこに自分自身が社会から引退したと思いこんでいる裕也が、夏期限定の手伝いとして応募してくる。山荘にはすでにサヤカと慎二が従業員として働いていた。
 
 山荘でのパウロさんとのやりとりと、現在のヒマラヤ高峰での時間軸が並行して語られていく。
 パウロさんの過去、裕也の過去、サヤカや慎二の事情などが明らかになる。
 そして、未踏峰を目指すことで自分の存在の意味を再確認することが、かれらにとって生きる全てとなっていく。
 冬の八ヶ岳や富士山登山で、高所での運動での心構え、強風に対する訓練を繰り返し、いよいよ次のシーズンにはヒマラヤを目指すという年の冬、パウロさんを、ある不幸が襲う。

 ヒマラヤのベースキャンプに、パウロさんはいない。
 だが、3人は頂上を目指す。
 気持ちは4人だ。パウロさんの指導が今も心の支えなのだ。
 
 ある外人のパーティーとの競争になったりするが、彼らもアルピニストの先輩としてのコウヘイ・マキムラを慕っていた。
 山をやる人物に悪いヤツはいない、というのは森村誠一が覆したのだが、この本に出て来る人物は、それぞれに個人的なハンディを負い、深い過去を持ちながらもすべて善人だ。
 未踏峰を越え、その向こうを目指した人々。
 ひとはそれぞれの未踏峰を持つのかもしれない。
 

2012年6月12日火曜日

サファイアの輝きは湊ファンへの贈り物

「サファイア」
湊かなえ

単行本: 281ページ
出版社: 角川春樹事務所
ISBN-10: 475841193X
ISBN-13: 978-4758411936
発売日: 2012/04/18


市議会議員の選挙アルバイトを始めたことがきっかけで、議員の妻となった私は、幸せな日々を送っていた。激務にもかかわらず夫は優しく、子宝にも恵まれ、誰もが羨む結婚生活だった。だが、人生の落とし穴は突然やってきた。所属する党から県議会議員への立候補を余儀なくされた夫は、僅差で落選し、失職。そこから何かが狂いはじめた。あれだけ優しかった夫が豹変し、暴力を振るうようになってしまった。思いあまった私は……。絶望の淵にいた私の前に現れた一人の女性――有名な弁護士だという。彼女は忘れるはずもない、私のかけがえのない同級生だった……。(「ムーンストーン」より)7つの宝石が織りなす物語。湊かなえ新境地がここに。

 湊さんのセカンドステージだとか、新境地だとか、毎回まどわされているが、この本はまぎれもない、「告白」に続く傑作だ。
 読者はみんな、「告白」のショックが忘れられず、湊作品を読み続けているのだが、ここにきて、ようやくそれが報われたのではないだろうか。
 
 短編集。
 「告白」も、もともとは短編で発表された作品だったので、短編としての完成度が高かった。今回の7作品もそれぞれ完成度が高く、びっくりしながら楽しむことが出来る。

『真珠』
 たぬき顔の女。いちご味の歯磨き。
 そこに隠された犯行とは・・・

『ルビー』
 たばこ畑の向こうに立つ老人福祉施設<かがやき>。
 そこの入居者である「おいちゃん」がくれたプレゼントは・・・


『ダイヤモンド』
 月曜日。ドアにぶつかったスズメを介抱して逃がしてやった。
 その夜、スズメの化身だという黒づくめの女がやってくる。
 望みを叶えてくれるというスズメに依頼したことは・・・

『猫目石』
 キルマカット・エリザベス3世。ブリティッシュ・ショートヘアのメス猫。
 その飼い主が暴いて行く家族の秘密に・・・

『ムーンストーン』
 市会議員の妻としてのわたしが犯した罪を弁護するために訪れたのは、昔の友人だった。
 走れメロス。友よ、君のためならこの命をかけて闘おう!

『サファイア』
 表題作。そして次の「ガーネット」に続く連作になっている。
 人生初のおねだりだった。だが、その日、修一はやって来なかった。
 彼の過去が明らかになる。悪徳商法の片棒をかついでいた修一は友人のタナカと一緒にあくどい商売をかさねていたのだ・・・

『ガーネット』
 修一との思い出をもとに綴った「墓標」という作品でデビューしたわたしは、新々女優と対談することになった。彼女も悪徳商法の被害者で、わたしの作品から修一との関わりを気付いていたようだ。
 だが、彼女は悪徳商法を暴くのではなく、それがもたらした結果を示してくれた・・・

 巻末にもってきた2編が、あざやかにこの1冊の印象を決めてくれる。
 ひとの悪意がもたらす、すれちがいや悲劇を描いて来た作者が、悪意の裏側を描いた7篇。
 後味の良い一冊となった。
 やはり湊ファンを続けていかねば・・・

2012年6月9日土曜日

ぼくはお父さんを訴えます。でもそれは・・・

「僕はお父さんを訴えます」
友井 羊

単行本: 308ページ
出版社: 宝島社
言語 日本語
ISBN-10: 4796688234
ISBN-13: 978-4796688239
発売日: 2012/3/9

 
作家・乙一氏激励! 「一気に読ませる手腕と、法廷シーンは一級品」(大森望)、「完成度は高く、ユニーク極まりない」(香山二三郎)、「新鮮な展開にページを操る手が止まらない」(茶木則雄)、「実の親を訴える前代未聞のアイディア」(吉野仁)。選考委員絶賛の第10回『このミステリーがすごい!』大賞、優秀賞作品です。何者かに愛犬・リクを殺された中学一年生の光一は決定的な疑惑を入手し、真相を確かめるため犯人を民事裁判で訴えることに。被告はお父さん! 周囲の戸惑いと反対を押して父親を法廷に引き摺り出した光一だったが、やがて裁判は驚くべき真実に突き当たる!
内容(「BOOK」データベースより)
何者かによる動物虐待で愛犬・リクを失った中学一年生の向井光一は、同級生の原村沙紗と犯人捜しをはじめる。「ある証拠」から決定的な疑惑を入手した光一は、真相を確かめるため司法浪人の久保敦に相談し、犯人を民事裁判で訴えることに。被告はお父さん―母親を喪った光一にとっての、唯一の家族だった。周囲の戸惑いと反対を押して父親を法廷に引き摺り出した光一だったが、やがて裁判は驚くべき真実に突き当たる!2012年第10回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作。

 あらすじとしては内容紹介のとおり。
 光一が同級生のサーシャとともに、愛犬が発見された場所で証拠集めを始め、獣医の協力を得て、なおかつ司法浪人とともに裁判に乗り出ていく。
 被告人は父。
 
 だが、ミステリーだ。
 なぜ、こんな事件が起こったのか。
 人間の残酷さ、というより、内に秘めた残虐性があらわにされていく過程は読んでいて心苦しいものがある。もっとも、どこかの時点でそのあたりに気付いてしまうのが残念。

 ミステリーとしては面白いし、中学生が主人公のさわやかさもあるのだが、この「辛さ」がどう評価されていくのか、今後の楽しみ。ひょっとして本屋大賞の候補にあげたりする人もいるかもしれない。だが、毒のある本だとだけ、言っておこう。

2012年6月5日火曜日

パラダイス・ロストの影にうごめくものは

「パラダイス・ロスト」
柳 広司

単行本: 257ページ
出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
言語 日本語
ISBN-10: 4041101387
ISBN-13: 978-4041101384
発売日: 2012/3/24


異能のスパイたちを率いる“魔王”――結城中佐。その知られざる過去が、ついに暴かれる!? 世界各国、シリーズ最大のスケールで繰り広げられる白熱の頭脳戦。究極のスパイ・ミステリ!
内容(「BOOK」データベースより)
大日本帝国陸軍内に極秘裏に設立された、スパイ養成学校“D機関”。「死ぬな。殺すな。とらわれるな」―軍隊組織を真っ向から否定する戒律を持つこの機関をたった一人で作り上げた結城中佐の正体を暴こうとする男が現れた。英国タイムズ紙極東特派員アーロン・プライス。だが“魔王”結城は、まるで幽霊のように、一切足跡を残さない。ある日プライスは、ふとした発見から結城の意外な生い立ちを知ることとなる―(『追跡』)。ハワイ沖の豪華客船を舞台にしたシリーズ初の中篇「暗号名ケルベロス」を含む、全5篇。

『誤算』
 1939年、独軍占領下のフランス。
 留学生の島野亮祐は、ドイツ軍に野次をとばしていた老婆を助けたことから、レジスタンスのメンバーと知り合いになる。だが、島野はそのときドイツ軍に受けた暴力で記憶喪失になってしまった。ドイツ軍から逃れた島野はレジスタンスのメンバーが所持していた拳銃を瞬く間に分解、修理するなど、自分でもわからない能力を発揮する。
 島野の行動につきまとう誤算とは・・・

『失楽園』
 英領シンガポール、ラッフルズ・ホテル。失われたパラダイスとも呼ばれる、東洋の真珠。そこで新任の米海軍士官キャンベルが一目惚れしたのはデンマーク人との混血ジュリア。
 だが、ホテルの中庭で英国人の実業家が死体で発見され、ジュリアが、自分がその殺人の犯人だとして自首してしまう。
 日英同盟が破綻して、日本のスパイが暗躍するシンガポールで、前任の将校を追い立てるためにD機関のスパイがはなつ非常手段とは・・・
 
『追跡』
 日本通の新聞記者プライス。56歳。日本に来て10年になる。
 D機関の生みの親である結城中佐を追いつめることを悲願とするプライスは、有崎子爵の養子として育ったある青年の生い立ちに興味をもち、彼の執事ともいうべき老人にその過去を聴取する。
 その過程で浮かび上がった彼の肖像はまさに結城中佐を彷彿させるものだった。そしてその情報を本国に伝えるべく秘密の伝達手段を取ろうとした彼の元に・・・

『暗号名ケルベロス』
 1940年6月。
 サンフランシスコから6日目、汽船はハワイに到着寸前。
 内海脩はある英国人を罠にはめる。クロスワード・パズルを使って突き止めた相手は米国人の貿易商を名乗っていた。だが、その実は英国秘密情報員、暗号の専門家なのだ。しかし、それもつかの間、男はワインに混入された毒薬で殺されてしまう。
 男は何故殺されなければならなかったのか。
 男が最後に発した「ケロベロス・・・」とは何を意味するのか?
 
 エリートスパイたちを指揮する結城中佐があやつる異能の男たち。今回は直接結城の影は見えないが、すべての物語の背景に結城がいる。
 バリエーションゆたかな素材にそだってきたD機関の物語。今後の展開も楽しみ。

 

2012年6月3日日曜日

降霊会の夜に訪れた亡霊たちは

「降霊会の夜」
浅田次郎著

単行本: 292ページ
出版社: 朝日新聞出版
言語 日本語
ISBN-10: 4022509503
ISBN-13: 978-4022509505
発売日: 2012/3/7


罪がない、とおっしゃるのですか―死者と生者が語り合う禁忌に魅入られた男が見たものとは…。
至高の恋愛小説であり、第一級の戦争文学であり、極めつきの現代怪異譚。
謎めいた女の手引きで降霊の儀式に導かれた初老の男。死者と生者が語り合う禁忌に魅入られた男が魂の遍歴の末に見たものは……。至高の恋愛小説であり、一級の戦争文学であり、極めつきの現代怪異譚――。まさに浅田文学の真骨頂!

 私が小学校3年生だったころの思い出。転校生としてやってきたキヨこと井野上清。私より小柄で、チビだった私は、彼のおかげで教室の最前列から2列目に座れることになった。
 東京五輪を目前に控えた下町の東京。銭湯や、テレビを鑑賞するために集まる近所の人たち。だが、まだ戦後をひきずる男たちもいて、キヨの父はそういった人のなかの一人だった。祖父や父との交流を交えて、キヨとは親しく付き合うことになったが、1学期が終わって、母の実家で夏休みを過ごすために出かけようとしていた私の目の前で・・・

 私が住まう、浅間山を望む森の中の家に、雷鳴とどろく午後に訪れた女は、夢の中で見た女にそっくりだった。その女は梓といい、梓の紹介で、口寄せをおこなうというミセス・ジョーンズとその姪のメアリーと出会うことになった。
 そして、
現れた亡霊たちは彼女たちの口から、過ぎ去った日々の悔恨ともいえる思い出を語っていく。

 浅田さんの文章は朗読に向いている。
 前に銀河テレビの朗読会を鑑賞したから余計にそう思ってしまう。特に下町の風情など、まったく朗読に向いた文章を綴っているな、と思ってしまう。

 そして、キヨが亡くなって10年後、学園紛争華やかな昭和45年、ノンポリでどのセクトにも属さない私はそれなりの青春時代を過ごしていた。
 仲間たちに波紋をもたらしたのは、ユリコという、定時制高校に通う女工だった。彼女の放つ正論に動揺した仲間たちは、それぞれの青春の終わりに向かって歩み出す。
 それを理解するまでに費やした時間がこの小説の全てなのかもしれない。

 降霊会は二度に渡っておこなわれるが、私がのぞむ霊は結局現れない。いや、自分でも誰を望んでいたのかもわからない。現れた霊、現れなかった霊、それぞれに理由があり意味があった。

 
 初老の男性が思い出す、少年時代、青年時代の悔恨。だが亡霊たちは何の解決ももたらさない。すべては過去のなかに埋もれていった思い出ばかり。
 亡霊だけが過去の世に生きている。
 

爺の読書録