2010年4月28日水曜日

「オランダ宿の娘」

「オランダ宿の娘」

葉室
単行本: 287ページ
出版社: 早川書房
ISBN-10: 4152091193
発売日: 2010/3/19


 オランダ宿とは、鎖国を続けていた日本で唯一江戸幕府に参府することのできたオランダ使節団が、江戸で宿泊するための施設「長崎屋」のこと。
 幕末の江戸、長崎屋には「るい」と「美鶴」というふたりの姉妹がおり、ふたり が出会う人々とのかかわりを中心に物語が語られる。宿のあるじの父親、経営上手な母親、母親の娘時代の友人で、大火の時に行方知れずになった幼馴染が占い の尼となって再びあらわれ、見えないものが見えるという不思議な能力を持つ妹の美鶴に力を貸すことになる。このご本もまた、江戸の火事が大きな扱いにな る。姉妹の幼い心にもいくつかの大火が記憶されているし、また巻末、安政の大火による罪人放免も重大な役割を持つ。
 
 物語は4年に一度のオランダのカピタンの出府に始まる。前 任のカピタンから指輪をもらった思い出がある姉妹のもとに、そのカピタンの息子であるハーフの丈吉が訪れる。当時長崎奉行だった遠山景普(かげみち)は異 国船打ち払いのときに面倒を見た、先のカピタンから銀貨をもらっていた。その銀貨をめぐって姉妹と人々の関わりが広がり、怪しげな回船問屋や唐人の殺し屋 などが現れる。海蛇と名乗る海賊一味も暗躍し、景普の息子・遠山の金さんもそのエピソードに出てきて渋いところをさらっていく。
 
 メーンとなるのはシーボルトの来日。長崎丸山の芸妓とのなれそめや、 一人娘おイネちゃんも登場する。長崎の鳴滝塾では高野長英らに混じって、姉妹とかかわりの深い江戸の若者が勉学に励んでいたりする。シーボルトが収集する日本の数々の地図などが幕府やその取り巻きたちの存在を危うくしたり、シーボルト自身の追放につながるのは歴史的事実。
 幕府の隠密といわれた間宮林蔵が荒くれ武士として登場、姉妹の前に立ちはだかるかと思えば、幕府とシーボルトの間に立って暗躍す る。間宮林蔵といえば樺太探検だ。自身の語る冒険の数々は、その前のシーボルトの航海に負けず劣らずすさまじいものがある。
 
 葉室さんは先にも投稿したとおり九州の作家であるだけに、長崎やシーボルトへの造詣も深いのだろう。江戸のオランダ宿から、当然の ごとく長崎、はては樺太やカムチャッカなども盛り込んでグローバルな世界を描いている。
 ハ ヤカワ書房といえば翻訳ミステリ、という既成概念をくつがえす一冊。

2010年4月22日木曜日

「プリズン・トリック」

「プリズン・トリック」
遠藤 武文

単行本: 328ページ
出版社: 講談社
ISBN-10: 4062157063
発売日: 2009/8/7

昨年の江戸川乱歩賞受賞作。
書店ではすさまじいコピーで発売されていたので期待度も大。
いわく「あなたは絶対に鉄壁のトリックを見破れない。そして必ず、二度読む。」

ということで一度目の読書。
序章では、「石塚満」という、「私」が一人称で綴る刑務所の一日が淡々と描かれる。
これが、ただの刑務所ではなく「交通刑務所」。一般の犯罪者とは異なり、飲酒運転などで拘束されているわけで、彼らに罪の意識を持たせ、反省させることに重点を置いた、社会復帰を目指すための刑務所なのだ。朝の点呼から始まり、所内で作られた味噌や麦飯の食事、運動、入浴、一般では早すぎる4時の夕食、わずかな自由時間のあとの午後9時の就寝まで、懲役刑9ヶ月の贖罪の日々。ただ途中に不思議な面会者が現れたりして、奇妙な印象を与える非日常のなかの一日が描かれる。
そして「宮崎春雄」に対する殺意が明かされる。何故か、は明らかにされない。

そして、殺人事件。刑務所の中での事件だ。それも密室に近い状況、被害者は奇妙なことに前へならえ、の姿勢をとらされている。犯人は逃亡してしまった。
殺されたのは、石塚。らしい。というのも死体は顔と指紋を薬品で溶かされており、身元を確認できないのだ。直接の死因は筋弛緩剤の注射だと判明する。どうしてそんなものを持ち込めたのか。
死体のそばに「石塚死すべし。宮崎」というメッセージが残されていた。逆だよね。つまり犯人は被害者と入れ替わっているんだな、と読者には分かる。

捜査を始める刑務官たち。長野県と埼玉県、被害者と加害者、彼らをとりまく家族、交通事故の加害者はまた被害者だ。加害者の身内は刑務所に収容されている加害者以上に身に重いものを抱えることになる。
捜査が進み、殺されたのは宮崎、殺したのは石塚、という構図が現れてくる。ところが、石塚を追う刑事たちが石塚の郷里で見つけたのは、収監される以前に事故で植物人間となってしまっている石塚本人だった。では、服役していた石塚は何者なのか? 別人になりすましてまで刑務所に入り込んだのは何故か?
刑務官のひとりが、街で殺される。それも筋弛緩剤注射で。

身元引受人、新聞記者、保険会社の調査員などが入れ替わり立ち代わり絡んでくる。視点がめまぐるしく変わるので読み辛いとの評もあった。たしかに名前が多くて流れについていくのも大変。
主要な登場人物の過去それぞれにいわく因縁があり、もう少し複雑な人間模様も描けたのだろうが、それは欲というもの。乱歩賞の講評にも、志を買うという批評があった。交通刑務所、中央政権と農業利権、警察組織のヒエラルキー、それぞれに対する思い入れが強いのだろう。トリックよりも社会正義に力が入っている一遍。

二度、読むことはないだろうねえ。

2010年4月17日土曜日

「志賀越みち」

「志賀越みち」
伊集院 静

単行本: 500ページ
出版社: 光文社
ISBN-10: 4334926878
ISBN-13: 978-4334926878
発売日: 2010/3/19

昭和38年の京都。東京の学生が大津から京都へ向かう、山中越えの山道から初めて見た京都。
祇園、白川、建仁寺。初夏の京都で出会ったのは美しい舞妓さん。
当然ふたりは恋におちる。だって恋愛小説なんだから。

祇園祭、大文字の送り火。舞台装置はばっちり揃っている。その中でふたりの恋の炎は燃え上がるのだが、舞妓としての立場、学生としての立場から、結ばれることは難しい。
だが、旦那のひいきにより、そろそろ芸妓になる襟替えがおこなわれるのだという。それは人身売買に等しい行為だとしか学生には理解できない。

秋が来て、舞妓さんたちの芸事始め、温習会、芸妓たちのライバル意識なども交えて、二進も三進もいかない恋はみのることになるのか。
そして新年、花背の雪の中で最後の別れの日が・・・。

伊集院さんといえば、和製POPSの一時期を形作った人としか理解していなかったし、夏目雅子さんのダンナということで羨む男どもも多かっただろう。あらためて書誌を見てみると著作も多いし、アマゾンなどでの、このご本のプレビューもすこぶる評価が高いのでびっくり。
ただ、お話が古臭いのは否めない。学生を主人公に持ってきたので、川端康成ふうの小説にまとまったのは評価できる。だが、主人公の一途さと正義感は昭和38年だからこそなのだ。今の学生たちがこの主人公ほど、真剣に生きているとはとても思えない。
気になったのは、地の文ならともかく、会話にまで「蹴上の××ホテルで」などと、×を使うところ。踊りのタイトルまで「×××」などと書かれてしまうと雰囲気が台無しになる。
それと「僕」という一人称での表現と、三人称で書かれる文章が、章で分かれるのでもなく混在するところ。あれれと思いながら読み返すこともしばしばあった。
と、本来批評はしない筈のブックレビューには珍しい、いちゃもんでした

2010年4月12日月曜日

「Nのために」

「Nのために」
湊 かなえ

単行本: 256ページ
出版社: 東京創元社
ISBN-10: 4488024556
ISBN-13: 978-4488024550
発売日: 2010/1/27

被害者・野口貴弘、奈央子夫妻。杉下希美(のぞみ)、友人の安藤望。アパートの住人・西崎真人。希美とは同郷の同級生・成瀬慎司。アパートの家主・野原さん。主要な登場人物のすべてが「N」のイニシアルを持つ。
「N」が「N」のためにと思って仕掛けた罠。そして相手の「N」が、ほかのもうひとりの「N」のために、そうしなければならないと思いつめたこと。しかし、その「N」の思惑は「N」には通じず、それぞれの思いが交錯し、ひとつの頂点を迎えたとき悲劇が起こる。

悲劇は起こった。そして著者お得意のモノローグが始まる。
そこで明かされていく、それぞれの「N」の過去、事情、思慕、嫉妬、憧憬。

情念が縦糸、横糸に織り込められた物語、とよく言うが、ここではそれが斜めに行きかうことで一つの断層がまた別の意味を持つことになる。
映画化に合わせて最近文庫になったデビュー作「告白」では、多方面からの告白が、ひとつの事件の多面性を浮かび上がらせる結果になって、それぞれの告白者への感情移入があの結末のショックへと盛り上がらせてくれた。今回はそれぞれのモノローグの方向が斜めに交錯する感じで、TVドラマのように、あるシーンが、他の角度から見たとき、一瞬そのシーンがよぎる、といったおもむきか。

著者の新たなステージ、と評された、新たな代表作。

2010年4月7日水曜日

「円朝の女」

「円朝の女」
松井 今朝子

文藝春秋
出版年 2009.11.15
227p

  三遊亭円朝といえば、あなた、幕末から明治初年にかけての、稀代の落語名人、また牡丹灯籠などの原作者としても名の通った、文人墨客としても有名でございます。
その円朝にまつわる五人の女たちとのなりそめを通して、円朝の人となり、芸の肥やしとなった女たちの悲しみ、そして江戸から明治へと移り変わる時代の流れを語るのは円八という弟子の落語家、あたし。
安政七年、武家のお嬢様の「千尋さま」から始まる昔語りは、幕末の動乱のなか、いくさのうわさが飛び交い、訳の分からぬ間に江戸が東京となっていく時代の、庶民の姿を活写して、著者の松井さまの面目躍如といったところでございましょう。
江戸の名残を残す吉原でのお話では、花魁の長門太夫の女っぷりが情趣ゆたかに語られて、その芝居語りと申しましょうか、講談めいた語り口はあたかも一幅の錦絵を目の当たりにするがごとくでございます。
さて、悲しいところでは、円朝のただひとりの息子、朝太郎の母でありながら正式な妻となる訳にはまいりませんでした、芸者のお里さん。
そして、お内儀さんのお幸さん。柳橋の大幸とよばれた気っぷの良さと、権力者や男どもをものともせず一門を束ねて行く肝っ玉ぶりは思わず大向こうから掛け声がかかるほどの迫力であります。
そして3人娘の末っ子、せっちゃん。ははは、これには、ちいとばかり仕掛けがございまして、読むひとを手玉に取り、日清戦争で大陸に赴く俥引きとの悲恋を軸に、最後のオチでは見事なハッピーエンドに仕上げてしまう、これぞ、松井ワールドの真骨頂。
先に直木賞をお取りになった「吉原手引き草」では、何人かのお方のお話をまとめて、花魁の敵討ちを3D方式で描かれたわけですが、今回はあたしひとりにしゃべらせて、あたしひとりのに話術の妙に感嘆していただきやす。
さて、おあとがよろしいようで。

爺の読書録