2010年8月27日金曜日

追想のかなたに浮かび上がるもの

「追想五断章」
米澤 穂信

単行本: 240ページ
出版社: 集英社 (2009/8/26)
言語 日本語
ISBN-10: 4087713040
ISBN-13: 978-4087713046
発売日: 2009/8/26

2010年度ミステリーベストで文春5位、このミス4位。

平成4年という設定、バブルの崩壊で時代が閉塞されていく時代。
実家の倒産で大学休学を余儀なくされ、伯父の古書店でアルバイトをしている主人公。
彼のもとに可南子という女性が現れ、彼女の亡くなった父が22年前に書いた5編の短編小説を探してほしいという依頼をしてくる。

平成4年からみた22年前、昭和50年前後の時代を顧みるという設定。もうひとつ時代感覚にはなじめないが、著者の若さではしようがないか。
そして、結末を明らかにしないことで2つの解釈が可能になる「リドルストーリー」と位置づけられた5編の父の小説。そのどれもが、かつてどこそこを旅行し たとき、ある国のこういう街で奇妙な話を聞いた、というフレーズで始まるのだ。そして語り終えた物語には結末がない。読者は自分で結末を着けなければなら ない。
しかし可南子の元には父の遺品というべき5枚の原稿用紙が残されていた。その1枚ずつにしたためられた、5編の「結末」の1行。それが、読者の元には随時提示されていくのだが、つねにどこかに不安定な思いが残る。その結末はそれでよいのかしら?

「奇跡の娘」 欧州を旅行した折、ルーマニアのブラショフという街で
「転生の地」 南アジアを旅行した折、インドのジャーンスィーという街で
「小碑伝来」 中国を旅行した折、四川の綿陽という街で
「暗い隧道」 南米を旅行した折、ボリビアのポトシという街で

そのどれもに、自分勝手な男とその妻、あるいは妻子が関連する。おのれの所業により妻と子を命の瀬戸際に追い込む男の姿。結末では読者は犠牲者は男か、妻子なのかを問われることになる。
そして父自身のエピソードが明らかになる。昭和45年、ベルギーのアントワープで、妻が自殺したことで殺人の嫌疑にかけられたというのだ。その場には当時4歳の可南子がいた筈なのだが、自身にはその記憶がない。

主人公自身の断章をはさみ、自身の身の振り方を固めるため、主人公は可南子の住む信州は松本の山間の村に出向いていく。村は祭りのさなかで、にぎやかな中にも祭りの淋しさという空気も流れている。ここで、これまでの4篇の断章の謎解きが始まる。
そして、謎が明らかにされたあとに第5篇の小説が呈示される。それは亡くなった妻を想い詰める、残された男の思慕を描いた小説で、舞台は当然、外国だ。
「雪の花」 スカンディナビアを旅行した折、スウェーデンのボーロダーレンにほど近い街で・・・

1年前の出版で、すでに評価は決まっているのだが、やはり読んでおいてよかったと思わせる一冊。

2010年8月22日日曜日

壊れていく世界を救う祈りとは

おめでとう、2010年度文春ミステリーベスト第2位。

叫びと祈り
梓崎 優

単行本: 288ページ
出版社: 東京創元社 (ミステリ・フロンティア)
ISBN-10: 4488017592
ISBN-13: 978-4488017590
発売日: 2010/2/24

この年末のミステリーベストで上位を占めるだろう、などとコピーを付けられて書店の目立つところに置かれていた。まさかの2位、新人賞だったね。

短編連作。
斉木と呼ばれる主人公が貿易会社社員、海外調査員、などの肩書きで世界の片隅で遭遇する事件の数々。
たしかに世界の片隅であり、辺境とも呼べる地が舞台となる。一話ごとに3人称になったり、一人称になったり、一人称の語り手もエピソードごとに異なる。共通するのは斉木が謎を明かしていくということ。
アフリカの砂漠で突然起こる連続殺人。その動機が前代未聞だとされる「砂漠を走る船の道」。たしかに前代未聞で、ありえない、小説世界でしかあり得ないだ ろう動機だ。だがそれが価値観の相違でおこる殺人だと、平和な日本人は納得する。それとともに登場するキャラバン隊長の跡継ぎと目される存在にびっくり。 砂漠を走る船というのはラクダのこと。ラクダの足跡が残る砂漠の起伏を越えていく道が目に浮かんできたら、著者の術中にはまってしまったといえるだろ う。。
真夏のスペインの丘陵で起こる人間消滅の謎。軍隊が消失したという伝説が残る白い土地で起こった恋人消滅事件。「白い巨人(ギガンテ・ブ ランコ)」と表現されるのはドン・キホーテでおなじみ風車のこと。歴史に残る軍隊消失事件が起こった白い風車の中に消えていった恋人は・・・
先の2作が暑い乾燥した土地を舞台にしていたのに比べ、「凍れるルーシー」は南ロシアの修道院が舞台となる。死後も生前の姿をとどめる修道女は聖女と認められるのか。息も凍る修道院の回廊でひとりの修道女が見たものは、霧のベールに包まれた幻だったのか。
エボラ出血熱の恐怖がアマゾンの奥深い闇で燃え上がる「叫び」。アフリカではなく南米アマゾンの地で、集落の地面に撒かれる白い灰。それは血の恐怖から火 葬にされた犠牲者の村人の屍骸の灰だ。アウトブレイクの恐怖とそれを断ち切ろうとする人間たちの行動の恐怖が斉木の叫びと重なる。
そして「祈り」の地で「ぼく」の胸によみがえったのは、白い砂漠、白い丘、白い灰。

世界の価値観と対峙するかたちで人々の恐怖とつきあってきた読者が最後に出会えたのは、この祈りの世界なのだ。
脅威の大型新人と評される著者の名前は「しざき ゆう」と読む。間違って柿崎のコーナーをさがしてもありません。

2010年8月14日土曜日

とざい東西、ここにお披露目いたしまするは

「星と輝き花と咲き」
松井 今朝子

単行本: 266ページ
出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062163551
ISBN-13: 978-4062163552
発売日: 2010/7/16

第2章。明治19年、10歳の少女とその母親が神戸港から東京に向かって出発する。藤田園という少女は耳で聞いただけの義太夫節を覚え込み、天性の声で朗々と謡い上げることが出来たのだ。
義太夫の三味線方である園の母は早くから少女の才能に気付いてはいたが、芸人のはかなさ、悲しさを知り抜いていることから、園を芸人にすることには抵抗を 感じていた。だが周囲の人たちや文楽の師匠にも認められたことで心が揺れる。そして前年の大阪の大洪水が追い打ちをかけ、遠い親戚である東京の医者を頼り に上京することになったのだ。

義太夫と浄瑠璃は異なる、ということが、今、調べてみて分かった。浄瑠璃の一派なのだそうだ。浄瑠璃のなかには常磐津、清元などがあるということで、派生的には文楽、歌舞伎の音曲の元になるということかな。

少女は東京でも義太夫の語りの才能を発揮したことから、有象無象がうごめき始める。
まず、近藤久次郎という芸能プロデューサー。彼が今後の園の人生を支配することになる。
そして、最初のごひいきになったのは芳町の芸者。園のことを男と思い込んだことでとんだ勘違いを産むエピソードは巻末のひとつの伏線として効果を出している。
だが、園の才能はおのずと花開くことになる。東京の権威のもとで披露した義太夫節が認められ、みずから竹本綾之助を名乗ることを訴え、その通りになる。
その後の活躍は元祖アイドルといわれるごとくすさまじいもの。

「竹本綾之助はそんじょそこらの芸人じゃねえ。天からの授かりもんだ」
学士たちの追っかけ。「どうする連」といわれる応援隊。
同じ日に2軒の寄席でトリを務めるなど、前代未聞の活躍が始まる。
それを見守るステージママの母、俥引き、マネージャー。

その栄光の日々にも綾之助の女心は揺れ動く。芸人たちの私生活を目の当たりにし、また周囲からも刺激を受けながら、芸に結びつく恋愛感情は抑えてきたのだ。
だがそこに、ひとりの男があらわれ、綾之助の人生は反転する。

突然の引退宣言、それがもたらす周囲への影響。そして、、、、

一気読み確実な作品。
浄瑠璃や義太夫に興味のある方もない方も、とざい東西〜 ひとりのアイドルの誕生にお立ち会いくださいませ。

2010年8月9日月曜日

世界はこの真珠のように丸く美しいのだよ

「マルガリータ」
村木 嵐

単行本: 304ページ
出版社: 文藝春秋
ISBN-10: 4163295100
ISBN-13: 978-4163295107
発売日: 2010/6/24

冒頭、肥前大村・伊木力の地で、将軍家光の手先として訪れた役人に尋問される老婆が登場。老婆は齢64歳で、珠(たま)と名乗り、おのれの過去を語り始め る。珠の夫は千々岩ミゲルといい、生きていたなら70歳にとどいているだろうという。ミゲルは天正年間に13歳で仲間4人の使節として南蛮へわたり、羅馬 (ローマ)を訪れ、20歳のときに帰国して修道士となった。ただ、ほかの3人とはことなり司祭になることはなかった。いや、司祭になる以前に棄教してし まったのだ。その、夫であった男が、先の一揆の首謀者である天草四郎の父親ではないかと疑われているらしい。珠は一笑に付せる。

平成22年度松本清張賞受賞作。
天正少年遣欧使節。千々岩ミゲル、伊藤マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアン。あらためて名前を調べてみると、中学校で習った、うろ覚えの名前が、あ、そうだったの、と再認識。
その少年使節のなかのひとり、ミゲルだけが信仰を捨てたのは何故なのか?

ミゲルたちがローマへ向かって出発した半年後、織田信長が誅殺され、豊臣の世になった。そして天主教は禁令とされた。その逐一は南蛮貿易のネットワークを通じてミゲルたちのもとへも届いていた。そして7年後、ミゲルと珠は再会する。
美しき大村藩主の娘、まりたという洗礼名を持ち、藩の家老に嫁してはいるがミゲルや珠との関わりを続ける伊奈姫の存在が全編を通じて物語の通奏低音を奏でる。禁令となった天主教を密かに信仰し続ける人々の象徴だろうか。
その伊奈姫にも祝福されて、ミゲルと珠は夫婦となる。そしてミゲルは天主教を捨てた。藩を守り、親族である藩主たちを守る意味でもあった。
時代は禁教から、伴天連追放、そして徳川将軍家の法令による踏み絵も始まる。
その間、棄教か殉教かを迫られ、何人もの人々が処刑されていく。ミゲルと珠はただ時代に流されていくだけだ。
なぜ、この国では殉教ばかりがもてはやされるのか。ミゲルの苦悩は続く。ミゲルだけは世にも名高い棄教者として、幕府から特別な扱いをされているのが皮肉である。
仲間たちに襲いかかる危難を救うべく、ミゲルは力をつくすのだが、歴史の波は残酷だ。

著者の村木さんは故司馬遼太郎氏の夫人の個人秘書を勤めておられて、ということでニュースにもなっている。司馬遼の世界を期待するのは無理というものだが、歴史に対する視線と、美しき女たち、誇り高き男たちの物語は、悲しさを交えてどうしようもない結末を迎える。

マルガリータとは真珠のこと。たま、と呼ばれた少女が珠となり、伊奈姫もまた、まりいたという洗礼名を持つ。世界はこの真珠のように丸いのだよ、と幼いたまに語りかけるミゲルの言葉が年老いた珠の胸に今も残っているのだろう。

2010年8月1日日曜日

暑い季節にスキッとしよう!

「ダブル・ジョーカー」
柳広司

単行本: 257ページ
出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
ISBN-10: 4048739603
ISBN-13: 978-4048739603
発売日: 2009/8/25

2010年度のミステリー・ベストで「このミス」「文春」ともに2位にランクされた一級品。09年はそれぞれ3位と2位の高評価だった「ジョーカー・ゲーム」の続編。

表題作「ダブル・ジョーカー」では結城中佐のD機関に、敢然と戦いを挑む<風機関>との暗闘を描く。
戦中慰問団の<笑わし隊>が持ち込んだ、満州でのスパイ合戦「蠅の王」。
うるわしの仏印の夜が不気味に溶解していく「仏印作戦」。
結城中佐の若き日の暗躍を描く「柩」では<魔術師>というコードネームの由来がドイツ師団大佐の思い出として語られる。
巻末の「ブラックバード」では太平洋の陽光まばゆいロスアンゼルスが暗雲に包まれていく12月の初めの数日が描かれ、結城中佐とD機関がどう変貌していくのか、今後の展開があるのか、つい確認したくて検索してみたが、あまり手応えなし。

という5篇が収められた短編集。
かつての「陸軍中野学校」と比べられたり、こんな本を読んでると馬鹿になります、と言われたりしているが、ミステリー・スパイ小説の王道を闊歩する結城ワールド。
刊行から随分と間が空いてしまったが、暑い季節にすんなり読めるのが、この手の作品の楽しみかもしれない。

さて、次があるのか。太平洋戦争を防ぐための防諜機関だったはずのD機関が、いざ戦争が始まってどう変貌するのか、はたまたエピソード・ゼロに戻っていくのか。
期待は又の暑い季節のお楽しみにとっておきませう。

爺の読書録