2011年10月19日水曜日

辛亥革命100年におくる日台のかけはし


「友情無限 」孫文を支えた日本男児
井沢 元彦

単行本: 429ページ
出版社: 角川書店(角川グループパブリッシング)
言語 日本語
ISBN-10: 4048742299
ISBN-13: 978-4048742290
発売日: 2011/9/22

 『君、挙兵、我、挙財支援』

 梅屋庄吉という名前は最近覚えた。いろいろ会社で話題が続いていたので。
 この本でいろいろ勘違いを教えてもらった。
 まず、梅屋というのは店名ではなかった。たしかに昔は米穀商と貿易商でならしていたそうだが。梅屋は名字。蜂屋とか照屋とかという名があるように、梅屋。
 横浜で名をあげたが、実は長崎生まれだった。
 孫文は日本から革命を指揮したというより、世界各地で革命への道を切り開いていた。

 梅屋庄吉。長崎の貿易商の養子となる。長じて店を経営するが、米相場で失敗して上海へ夜逃げする。
 そこで写真館をひらき、そこそこの成功をする。
 だが、上海はイギリスの植民地として、民族差別も甚だしい、受難の時代だった。
 これは青太后が支配する清帝国の腐敗が原因で、帝政の支配を脱して新しい国づくりをしようという勢力も出始めていた。
 その先鋒をきっていたのが孫文だった。
 上海で二人は出会う。
 清の国を救い人民を救うために、という孫文の理想に感動した庄吉は革命を支持し、資金面での協力を約束する。それが冒頭の言葉。「君は兵を挙げよ、我財をあげて支援す」、これが章題となっている。

 やがて庄吉はシンガポールで映画というメディアを発見し、日本でも映画王として成功をとげる。
 M・パテー商会の名の下に、日活をつくったのも庄吉ということになる。
 対して孫文は幾度も武装蜂起に失敗し、世界各地で支援者をつのる活動をおこなっている。
 だが、とうとう副官・黄興による武装蜂起が結実、武昌を制圧する。孫文は庄吉の支援をバックに南京入場を果たす。

 このあたり、もうすぐ公開されるジャッキー・チェンの映画「1911」に描かれているのだろう。
 だが、そこに袁世凱が立ちはだかる。
 史実は残酷だが、国父と呼ばれるわけがようやくわかった。昨年、台北に言ったときにも孫中山の偉大さはよくわかったが、やはり具体的なエピソードがあると随分、感情移入がすすむ。
 
 ということで、夕刊フジ連載時から気にしていたので、今回まとめて読めて納得。辛亥革命から100周年、中華民国100年を寿ぐ一冊。
 

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