2010年1月28日木曜日

「親鸞」


「親鸞」 () ()
五木寛之
単行本: 310ページ、318ページ
出版社: 講談社 (2009/12/26)
発売日: 2009/12/26
『全国27新聞に連載、2400万読者が熱狂した長編、ついに刊行!
愚者か?悪人か?聖者か?地獄は一定と覚悟し、真実を求めて時代の闇を疾走する青春群像。
極悪人も本当に救われるのか?!愛と暴力、罪と罰に苦しみながら、時代の激流に挑む青年の魂の彷徨。
講談社創業100周年企画』

と、講談社のサイトにある。
 
 悩み多き青年である。
 それが売りだったと思う。日本の戦前戦中にかけての青年たちの悩み、生き様・死に様を背負って、宗教家として自らを育てていく親鸞の成長を、その時代の空気のなかで自らに反映して、また反発して生きている青年たちのモデルとして小説に描かれていた一時期があったと思う。
 
 だが五木親鸞は違うぞ。
 出家を覚悟して何かを模索している少年・忠範(ただのり)はなんとアクションヒーローであり、世間の末端に潜む人々に守られつつ、時代を影から動かしている後白河法皇暗殺をたくらむ一味から、その命を救うことになる。
 そして、僧となった範宴(はんねん)は声明の歌い手として、いささか醜男ながら都の女人たちを魅せるエンターテイナーとなる。ここでも自らは悩みつつ宗教とは、念仏とは何かを模索しながら、他力から導かれるごとく法然と出会い、僧として至高をめざすことになる。
 やがて綽空(しゃくくう)と名乗り、少年のころに出会い、互いに魅かれていた恵信を妻に娶ることになるが、そのとき法然には、念仏をとなえるだけで往生できるという易行(いぎょう)を良しとしない一派からの策略が伸びて来ていた。
 善信と名をあらため、貧しき人々、救いのない人々を念仏で往生させることこそが他力の本願であると広めていくが、やがて都から追われることになる。
 小説のラストシーンは妻の実家である越後への旅立ちの場面である。法名を親鸞と定めて、妻とともに越後へ歩き始める親鸞は力強い。若いときに比叡山から都へ、法然のもとへ百日参りを続けた足腰には自信がある。そして宗教家としての信念はゆるぎもしない。

 さあ、この続きはいつか書かれるのだろうか。
 五木寛之だから許されたともいえる親鸞像がここにある。

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