「いとま申して」―『童話』の人びと
北村薫
単行本: 335ページ
出版社: 文藝春秋
ISBN-10: 4163299203
ISBN-13: 978-4163299204
発売日: 2011/02/25
著者の父の遺した日記が書かせた追憶の記
大正末期、旧制中学に通う少年は創作への夢を抱き、児童文学の現場で活躍する若者たちと親交を持つ。文化薫る著者の父の評伝風小説
北村薫さんは、読書の達人にして博覧強記、身近に接していていつもその教養の高さにため息が出てしまいます。本書はその著者の父・宮本演彦(のぶひこ)氏の日記をもとに、大正末から昭和初年の主人公の青春を描く評伝風小説です。旧制中学に通いながら、読書や映画を愛し、当時隆盛だった児童文学雑誌『童話』に投稿し、その世界の先輩たちとの交流を深める演彦。その姿に、まさに北村さんのルーツを見る思いがします。(YB)
大正13年、大震災の翌年に書き始められた父の日記。
そこには県立神奈川中学生として、誇り高き学生時代を送る少年の姿があった。
一日に何行かの著述から、北村さんの夢想はあちらへとび、こちらへたなびき、博覧強記そのものの筆の運びで、その時代の文学、文学を夢見る人々の熱いエネルギーを活写する。
「いとま申して」とは父上の辞世の句から出た言葉。それも注釈つきの辞世だったそうだ。高校教師だった父上らしい、と自慢の父上なのだろう。
素材として素晴らしいものを手に入れたといえる。
ノンフィクションとしての父の記録。
そこに残された記録から、北村さんは自分なりに調査を始める。気になる人名、雑誌、書物などはもちろん、古書をあさり、新聞のデータベースをあたる。
そこには自動文学雑誌「童話」に投稿して、そこに採用されるかどうかで一喜一憂する少年がいた。そしてその「童話」の同人には金子みすず、淀川長治さんなども参加していたというのだ。
名家の出で旧制中学に通うにもなんの苦労もいらなかった父。中学生にはそういった世の中のしがらみ、仕組みはまだピンと来ない。自分では文学修業の苦労を披瀝し、映画や芝居や歌舞伎などにも傾注して、そこからの交友も広がっていく。だが、周辺の人々にもやがて、生活の苦労が及んで来る。
家族のルーツなども広がっていく。祖父にあたる人の葬儀の話題などが間にはさまれる。北村さんの想像力は、江戸時代、明治初期の神奈川の田舎の庄屋にまで及んでいく。
やがて父上は慶応に入学、三田の学生として華やかな青春をおくることになる。
歌舞伎熱が嵩じて、芝居の脚本募集に応じてみたり、妹さんの童話同人誌への応募を応援したり、昭和初期のまだまだ穏やかな時代が過ぎて行く。
ラストシーン、冒頭のエピソードで、北村さんが幼い時に出会った、父や母を訪ねて来た「春来る人」の謎が残っていることを思い出させてくれる。
そして、父上の日記は戦前の時期まで書き継がれており、物語は書かれることを待っている、と結ばれる。
それなら、待つしかない。
だが、今回はこのあたりで、このレビューもそろそろ、いとま申さねばなるまい。
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