2012年8月8日水曜日

のぼうの城は領民たちが守った

 

「のぼうの城」
和田竜

文庫: 219ページ、218ページ、
出版社: 小学館
言語 日本語
ISBN-10: 4094085513
ISBN-13: 978-4094085518
発売日: 2010/10/6

(上)
2012年秋映画化原作!戦国エンタメ大作
戦国期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかに支城、武州・忍城があった。周囲を湖で取り囲まれた「浮城」の異名を持つ難攻不落の城である。秀吉方約二万の大軍を指揮した石田三成の軍勢に対して、その数、僅か五百。城代・成田長親は、領民たちに木偶の坊から取った「のぼう様」などと呼ばれても泰然としている御仁。武・智・仁で統率する、従来の武将とはおよそ異なるが、なぜか領民の人心を掌握していた。従来の武将とは異なる新しい英傑像を提示した四十万部突破、本屋大賞二位の戦国エンターテインメント小説!
<編集者からのおすすめ情報>
カバー装画は、単行本に続き、カリスマ漫画家、オノ・ナツメ氏に描いてもらいました。上巻は、単行本時と同じ、「のぼう様」こと成田長親、下巻は、描き下ろしの石田三成。上下巻を合わせると、どこかクールなのに迫力に満ちた両雄が激突するような絵柄が立ち上がってきます。
2012年秋映画化原作!戦国エンタメ大作

(下)
「戦いまする」
三成軍使者・長束正家の度重なる愚弄に対し、予定していた和睦の姿勢を翻した「のぼう様」こと成田長親は、正木丹波、柴崎和泉、酒巻靱負ら癖のある家臣らの強い支持を得て、忍城軍総大将としてついに立ちあがる。
「これよ、これ。儂が求めていたものは」
一方、秀吉に全権を託された忍城攻城軍総大将・石田三成の表情は明るかった。我が意を得たり、とばかりに忍城各門に向け、数の上で圧倒的に有利な兵を配備した。
後に「三成の忍城水攻め」として戦国史に記される壮絶な戦いが、ついに幕を開ける。
<編集者からのおすすめ情報>
2012年公開予定の映画「のぼうの城」脚本は、本作の作者、和田竜氏が担当。
じつは、小説「のぼうの城」が出来上がる以前に、同内容の脚本「忍ぶの城」を仕上げており、脚本家の登竜門、城戸賞も受賞しています。

 開幕、羽柴秀吉による備中高松攻め。ご承知のように水攻めでこの城を落とすのだが、それを石田三成も見つめていた。1歳年長の大谷吉継もその場にいた。
 年は流れ、秀吉は小田原の北条攻めに赴く。いまや北条の領地以外はすべて我が物とした豊臣家だ。北条の末城など、早く降伏すればよし、降伏しなければひねりつぶすまでのこと。
 小田原の北条家に城主を送り込んだ武州・忍(おし)城にも秀吉の魔手が迫る。その総攻撃を指揮するのは石田三成だった。
 忍城では形ばかりの籠城策が決定していたが、内実は大坂方への内通、北条への裏切りが暗黙の内に決められていた。
 
 のぼうとは「でくのぼう」のこと。城代家老の息子・成田長親は何をやってもまともにこなせず、城の仕事をしているよりは領民の畑仕事を手伝うほうが好きだという変わり者。だが、農民たちも、野良仕事を手伝ってもらうと、そのあと始末のほうが大変だと、実はけん制している。領民たちからは「のぼう」として親しまれているわけだ。こんな頼りない人なら、自分たちが頑張って助けてやらねば、という気にさせる、のぼう様なのだ。
 
 石田三成は、自分が関白・秀吉に重宝がられているのは、武士としてよりも事務方としての奉行職にすぐれたものを見せているからだと理解していた。だが、三成としては「天下はたらきをしたい」「いくさ上手なところを見せたい」と常々思っている。その頭には、かねて見た、備中高松城の水攻めが浮かんでいる。かつて上杉謙信も、この忍城の水攻めを考えたというのだから。

 このふたりが、対決する。
 一旦は秀吉の軍勢が忍城に到着次第、門を開くと決めていた成田家だが、三成の使者が忍城を訪れたときの態度が長親は気に食わない。まして、城主の娘・甲斐姫を差し出せと言われた途端、戦いと決することに。
 「戦いまする」「戦場にて相まみえると申しあげました」
 そして、農民たちも、長親のもとに参集する。「のぼう様が、いくさするってんなら我ら百姓が助けてやんなきゃ」
 
 やがて、籠城戦が始まる。
 歳取った武将が一線にたち、農民たちも一緒になって戦うという、大坂方の攻め手たちには理解できない戦いだ。
 巧妙な作戦で初手に勝った忍城には、三成の次の一手が襲い掛かる。水攻めである。あらかじめ長大な土手を築いて、そこに利根川と荒川から水を引く作戦だ。
 しかし、ここでも三成の評判はがた落ち。それほど膨大な土塁を作る必要があるのか。初めから、そうしておけばよいのじゃ。費用や日にちが、かかりすぎる。だが、三成は、これが天下人のいくさだ、と広言してはばからない。
 
 埼玉県行田市とはどのあたりなのか、とGoogle Mapで調べてみると、東京から北西の方角、春日部の向こう、熊谷とかの手前にあたる。爺とはあまり縁がない、不案内な地域だ。JRでも東京から1時間45分かかる。

 
 その行田市には今も土塁が残されている。
 三成が作り、長親がそのパワーを信じた農民たちの力で崩され城を救った、その土塁だ。
 
 のぼう様を助けるべく活躍した農民たちと、長親の実相を見抜いた三成。三成は武将として大成することなく、関ヶ原に散って行くが、そのときにも、長親らしくありたいと思っていたに違いない。
 

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