2012年8月31日金曜日

盤上の夜が見せる奇跡の眺望は

「盤上の夜」
宮内 悠介

単行本: 283ページ
出版社: 東京創元社
言語 日本語
ISBN-10: 4488018157
ISBN-13: 978-4488018153
発売日: 2012/3/22


第1回創元SF短編賞 山田正紀賞
第147回直木賞候補作
●堀晃氏推薦――「盤面から理性の限界を超えた宇宙が見える」
●山田正紀氏推薦――「これは運命(ゲーム)と戦うあなた自身の物語」
●飛浩隆氏推薦――「宮内はあなたの瞳(め)に碁石(いし)を打つ。瞬くな」

彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった──若き女流棋士の栄光をつづり、第1回創元SF短編賞で山田正紀賞を贈られた表題作にはじまる全6編。同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊技をめぐる数々の奇蹟の物語。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋……対局の果てに、人知を超えたものが現出する。2010年代を牽引する新しい波。

「盤上の夜」 囲碁
 何らかの事情から四肢を失った灰原由宇。彼女を保護し、代打ちとしての役目を努める相田純一九段。
 本因坊戦の挑戦手合、由宇はつぶやく。「星が痛い」
 早碁の決勝で勝ち抜いた時の抱負としてはこうだ。「この世界を抽象で塗り替えたい」
 だが、本因坊戦のトーナメントのさ中、由宇は姿を消してしまう。いつしか由宇は碁盤を通じて世界と会話していたのだ。そして、会話する言葉が足りなくなったのだという。
 行方不明の由宇を探し当てた相田だったが、彼女には再生医療により四肢が再生されていた。だが・・・
 
「人間の王」 チェッカー
 いまは葬られたゲーム=チェッカー。そのゲームでコンピュータと対戦し、6戦連続の引き分けに持ち込んだというマリオン・ティンズリー。彼こそは「人間の王」だった。わたしは彼とのインタビューを始める。ティンズリーは’97年の、その最後のゲームの直後に亡くなっているので、インタビューの相手は彼の能力を再現した意識体。
 彼は、人間と戦い、機械と戦い、プログラムと戦った。そして現在、コンピュータによりそのゲームは完全解されたとして、葬り去られている。だが、わたしには訊いてみたいことがあった。「あなたがティンズリーと戦ったとして、どちらが勝つのでしょうか?」 

「清められた卓」 マージャン
 わたしは10年前におこなわれた白鳳戦第9戦についてインタビューしている。公式に記録は残されていない、そこで、何があったのか。
 対戦したのは予選を勝ち上がった女性雀士・真田優澄。「都市のシャーマン」代表者。
 そしてAリーグプロの新沢駆。
 アスペルガー症候群の9歳の少年、当山牧。連盟は彼の活躍で麻雀のイメージを一新したいと考えたのだろう。
 4人目は優澄に執着する、彼女の元婚約者である精神科医・赤田大介。
 だが、対局は意表をつく展開を見せる。
 異様な打ち筋を見せる優澄は言う。「わたしたちが牌を動かしているのではなく、牌がわたしたちを選んでいるのよ」
 当山は数理的に麻雀を理解し、その中で、世界は感情で動いていることを知る。
 新沢は言い出す。「カメラで撮影するのは止めろ、賭けを始めよう」
 赤田は優澄には「何か」が見えているのだ、と確信する。
 そして10年後の今、赤田は、優澄が代表者の宗教団体「都市のシャーマン」にボランティアとして参加している。わたしはそこで見た優澄の姿に愕然とした・・・

「象を飛ばした王子」 チャトランガ=古代インド将棋
 ゴータマ・ブッダの息子、ラーフラ。彼は王としての務めより、盤上で駒を動かす競技に、より強い興味を抱いていた。この競技を広めれば、戦争の代わりになって、戦を起こすものはいなくなるのではないか。
 だが、象の駒を動かす決まりがみつからない。周囲の家臣たちも、からかい半分に「象を飛ばすことはできませんぞ」と冷やかすばかり。
 そのとき、自分を見捨て、家や国も捨てた父親・悉達多が帰郷してくる。父に対する恨みをこめて盤競技を始めたラーフラは、有利な筈の競技で父に負けてしまう。そして悉達多は「私の教えは、心を棄てるということなのだよ」と・・・
 
「千年の虚空」 将棋

 3人は幼いころから破天荒な生活をしてきた。蘆原一郎と恭二の兄弟と織部綾。
 今や、一郎は国政をリードする存在にまでなっている。恭二は竜王位戦を戦う棋士となったが、統合失調症を患い、駒と会話する生活を送っていた。
 一郎の野心は量子コンピュータによる歴史の一元化であった。歴史の細分化された内部を統一化し真の歴史をまとめあげようというのだ。その究極の目的は戦争をなくすこと。
 その研究開発の過程で、学者のひとりが将棋の完全解を発見したと発表した。
 弟の恭二はコンピュータと対決する。そして発作を起こす。
 量子コンピュータが分析する量子歴史学は、収束から発散に転じてしまう。
 全てを失った一郎は恭二を見舞う病室で、兄弟で将棋をする。そのとき、盤面に現出したものとは・・・
 

「原爆の局」 再び囲碁
 由宇や相田とはその後もつながりがあった。ただ、ときたま由宇が行方不明になるのは相変わらずだ。
 そんなある日、由宇の引退試合の相手だった井上から、囲碁の棋符を見せられた。その日付は昭和20年8月6日。対局された場所は広島。
 井上は、その棋符を渡した相田はシアトルへ行ったという。棋符を残した岩本という棋士の足跡を辿る旅だという。井上もまたニューメキシコへ行くという。現地でまた会おうということになり、わたしも日にちをずらしてアメリカに向かった。
 その地で珍しい再会があった。雀士の新沢である。かれはポーカーで稼いでいるという。
 井上はいう「囲碁とは、運が9割、技術が1割」。
 再会した相田は「碁とは、抽象が5割の具象が5割です」。
 そして、井上と由宇の勝負が始まる。意表をついて天元に黒石をおいた井上。そのとき、現実の底が抜けた。ニューメキシコの純白の砂、8月6日の黒い雨。
 最後の最後に由宇の言葉。「9割の意志と1割の天命」・・・

 ゲームであり、意志である。
 この作品が直木賞になったら、また何かアクションがあっただろう。
 実在の人物、実在のゲーム。コンピュータによるゲームの解析。そして、その解。あり得る話であり、現実でもあった。
 その現実と奇跡を垣間見せた一瞬に現れる幻想。それが描かれる。
 

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