2013年5月14日火曜日

満つる月の如し輝きをはなつ仏像を見に行かねば


「満つる月の如し」 仏師・定朝
澤田 瞳子

単行本: 384ページ
出版社: 徳間書店;
言語 日本語
ISBN-10: 4198633622
ISBN-13: 978-4198633622
発売日: 2012/3/6

日本美術史に燦然と輝く仏師・定朝。だが、その生涯は今も不詳のまま。気鋭が大胆な着想で描ききった定朝が瑞々しく蘇る!
時は藤原道長が権勢を誇る平安時代。若き仏師・定朝はその才能を早くも発揮していた。道長をはじめとする顕官はもちろん、一般庶民も定朝の仏像を心の拠り所とすがった。が、定朝は煩悶していた。貧困、疫病が渦巻く現実を前に、仏像づくりにどんな意味があるのか、と。華やかでありながら権謀術数が渦巻く平安貴族の世界と、渦中に巻き込まれた定朝の清々しいまでの生涯を鮮やかに描き出した傑作。最少年で中山義秀賞を受賞した気鋭の待望の最新刊。

 平等院鳳凰堂。
 その中心に輝く国宝阿弥陀如来坐像。表紙の写真がそれだ。
 その作者が仏師・定朝である。

 寛仁4年(1020)春、叡山の若き僧・隆範は藤原道長の屋敷隣に建立された法成寺の開山式で、若い仏師の腕前を見て感嘆する。技師たちが、運び込もうとした仏像を、運搬中の失敗で頬に傷をつけてしまったのだ。その傷を補修すべく鑿を振るった仏師によって、その仏像はこの世ならぬ美しさ、妖艶さをもって生まれ変わってしまう。あたかも月光の下で貴人を見たかのように。
 「むらさきの 雲路に渡る鐘の音に こころの月を託してもがな」
 ある女童がふと歌を詠む。
 
 藤原通雅。ちょうど当子内親王との密会が醜聞となり、三条帝からふたりの仲を裂かれてしまったころだ。
 「今はただ 思ひ絶えなんとばかりを 人づてならで言ふよしもがな」
 百人一首の歌が突然でてきてびっくりする。

 そこで、ふたりの関係を調べてみた。
 ふたりはある事件で共謀したというのだ。 
 こうして実在の人物たちが顔をそろえたところで、物語が動き始める。

 出てくる人物の多さに驚く。またその人物の名前が読みにくいし、ややこしい。皇室、藤原家、それぞれがいりまじって、人間関係も複雑だ。

 隆範は、まだ若い定朝に、仏像彫刻を頼みに行く。
 だが、定朝は仏像に疑念を抱いている。仏は、ひとに何をしてくれるのだ。仏にすがる人々を仏が救ってくれるのではないのか。救われないひとばかりのこの世で、救ってくれることのない仏を彫って、どうなるというのだ。
 
 都では敦明親王がおのれの不遇を呪ってか、傍若無人のふるまいに及んでいる。道長の策謀により東宮の地位を異母弟に奪われ、道長の娘を妃としたものの、いらだちを隠さず、情け容赦のない暴力沙汰を起こしている。

 だが、その敦明親王をひそかに慕う女御がいた。藤原彰子の女房として仕える中務宥子である。乳兄妹として育った幼なじみで、彼の悲しみをよく理解し、彼の本質も見抜いている。

 物語は宥子が、女房仲間の小式部の病を伝えるべく、敦明のもとに駆けつけようとしたときに暗転する。
 宥子は雪の舞う都の路地で、敦明の元の家来だった武士にかどわかされそうになり、行き倒れてしまったのだ。
 翌日発見された宥子は野犬に喰いちぎられた無惨な姿であった。

 だが、定朝はその死体の顔から、御仏の真の姿を見る。

 敦明親王と、彼をめぐる女たち、そして道雅や劉範など、宮廷と関わりの深い僧侶や武家がおりなすタペストリー。
 その中心に造仏という一大事業を据え、絢爛たる藤原氏の栄華と影を描き出す。
 アマゾンの書評をみても全て満点という傑作。
 いま注目の時代小説作家として名を挙げられる澤田さん、今後も注目していかねば。

 

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