2010年6月29日火曜日

「求天記」


「求天記―宮本武蔵正伝」
加藤 廣

単行本: 486ページ
出版社: 新潮社
ISBN-10: 4103110341
ISBN-13: 978-4103110347
発売日: 2010/05/25
ページ 486p

慶長17年2月、京都妙心寺の塔頭に居候し、仏像を彫り、名高い画家の画業を見学したりと、武者ならぬ美術者の修業をする宮本武蔵のもとに、豊前小倉細川藩から誘いの手が延びる。巌流小次郎と武術試合をおこなえというのだ。
ここまでなら、いつもながらの武蔵もの、時代小説のお話。
そこは加藤廣、一筋縄ではいかない。斜めから見た武蔵像を提示する。
細川家では家老の松井興長が徳川の世での生き残り策を練っていた。まずは、キリシタン禁令に備えての布石を次々にうつことで、細川家の存続を図ろうというのだ。

船島での戦い。追い立てられるようにして逃れた江戸。ひとりの放浪僧との再会。
 そして、大阪冬の陣。幸村・真田信繁とのふれあい。だが、半年もたたぬ間に立場が変わっての夏の陣。
 自分の中の殺し屋としての資質に気付いた武蔵が、生き方を模索していくそれからの十数年。

 養子を迎え、姫路本多家での奉公、だが養子の死。不幸がつきまとう。
 そして続いて迎えた義子の伊織とともに、明石小笠原家で剣術師範としての生き方が始まる。
 島原の乱をはさんで、肥後熊本細川藩に迎えられ、松井興長との再会を果たしたときには、武蔵は、すでに老境に達していた。

 求道者としての武蔵は過去に何度も描かれており、ドラマや映画でも、その苦悩が日本人としての生き方の典型みたいな描かれ方をされてきている。
 たしかに加藤武蔵も苦悩している。だが、苦悩するために苦悩するのではない。武芸者の道を歩むより、書家、水墨画家としての生き方も模索しつつ、我が煩悩とも付き合っていく。極めて現代的ともいえる武蔵像である。その芯にあるのは武芸に対する誇りだったのか。
 

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