2011年12月11日日曜日

漂う砂のように生きて来た男がつぶやくのは


「漂砂(ひょうさ)のうたう」
木内

ハードカバー: 304ページ
出版社: 集英社
言語 日本語
ISBN-10: 4087713733
ISBN-13: 978-4087713732
発売日: 2010/9/24

江戸から明治に変わり十年。御家人の次男坊だった定九郎は、御一新によってすべてを失い、根津遊廓の美仙楼に流れ着いた。立番(客引)として働くものの、仕事に身を入れず、決まった住処すら持たず、根無し草のように漂うだけの日々。
ある時、賭場への使いを言いつかった定九郎は、かつて深川遊廓でともに妓夫台に座っていた吉次と再会する。吉次は美仙楼で最も人気の花魁、小野菊に執心している様子だった。時を同じくして、人気噺家・三遊亭圓朝の弟子で、これまでも根津界隈に出没してきたポン太が、なぜか定九郎にまとわりつき始める。
吉次の狙いは何なのか。ポン太の意図はどこにあるのか。そして、変わりゆく時代の波に翻弄されるばかりだった定九郎は、何を選びとり、何処へ向かうのか――

 明治10年の東京。根津遊郭「美仙楼」の番頭としての生業を余儀なくされている定九郎。
 龍造という大番頭の指図で動く、今なら下っ端サラリーマン。いつかこの世界から出て行きたいという遠い望みもあるにはあるが、走り遣いで賭場の売り上げの運搬をまかされたり、廓の花魁のトラブルをかいま見るだけでは、そのささやかな夢も、いつ叶うことか。

 時代は士族の反乱がピークを迎える頃。自由民権がもてはやされ、西郷の乱に同調する旧士族たちが西国へ向かっている。なんだか東京中の巡査の数も減っているようだ。
 なにか浮き足立つ世間だが、定九郎は、自分が川の底で蠢いている砂粒のようにしか思えない。

 そこに女郎の自殺騒ぎ、美仙楼のトップ花魁小野菊の身請け話。だが、それをことわった小野菊が次に企てたのは花魁道中だった。その本心とは。
 また10年ぶりの兄との再会。
 小野菊の依頼で訪れた芝居小屋で垣間見る圓朝の話術。
 ねっとりとまつわりつくような時代の雰囲気が、見事に活写されている。 

 2010年下半期直木賞をこの作品で、道尾秀介(「月と蟹」)とダブル受賞。
 芥川賞は「きことわ」(朝吹真理子)、「苦役列車」(西村賢太)で、下半期はかなりレベルが高かった。
 いや、もうひとつ言えば上半期は「乙女の密告」(赤染晶子)、「小さいおうち」(中島京子)がそれぞれ芥川賞、直木賞で、2010年そのものが本読みにとってはたまらん1年だったといえる。

 筆者は女性である。
 舞台は根津の遊郭。根津権現といえば、本郷や谷地といった地名や湯島天神など、江戸情緒真っ只中の土地。そこを舞台に、時代にのれない、だが逆らうこともできない、野望ばかりで何を為すにも中途半端な男を描いた。

 漂砂とは、ウィキペディアによると、様々な流れによって生じる土砂の移動、もしくは移動する土砂のこと、とある。龍造と自分を比べての韜晦はこうだ。
 「この男(龍造)はすべての世事から切り離されて在る。外からの力で揺らぐことなく、(略)水に潜っていくような息苦しさとも無縁なのだ。それに比べて自分は、まるで水底に溜まっている砂粒だ、と思う。」

 だが、小野菊花魁になにかしら関わりがあるようで、定九郎にもまつわりついてくる噺家の卵だという四十男のポン太はこうも言う。ポン太は素潜りが得意だというのだが、
 「水底に積もっている砂粒は一時たりとも休まない」「何万粒って砂がねェ、静かに静かーに動いていってるんだねェ。そうやって海岸や河岸を削っていくんだねェ。(略)水底で砂粒はねェ、しっかり跡を刻んでるんだねェ」

 そして、大団円、何年かたっても、漂う砂のように地べたをはいまわっている定九郎が見つけたものは・・・


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