2013年6月24日月曜日

等伯と永徳、そして支配者たち

「等伯」(上下)
安部 龍太郎


単行本: 350ページ、369ページ
出版社: 日本経済新聞出版社
ISBN-10: 453217113X
ISBN-13: 978-4532171131
ISBN-10: 4532171148
ISBN-13: 978-4532171148
発売日: 2012/9/15


第148回(平成24年度上半期)直木賞受賞!
都に出て天下一の絵師になる――武家から養家に出された能登の絵仏師・長谷川信春の強い想いが、戦国の世にあって次々と悲劇を呼ぶ。身近な者の死、戦乱の殺戮……それでも真実を見るのが絵師。その焦熱の道はどこへ。


 表紙は「松林図屏風」。上巻はその一部を白黒反転したもの。下巻はそのまま。下のURLをたどれば、画像をアップして見ることができる。




 この松林図で名高い等伯。
 ほかにも極彩色の屏風絵の作品などもあるのだが、あえてこの水墨画を表紙にしたところが、この作品を象徴している。


 信春33歳。能登の中ほどに位置する田舎町、七尾から都へ出たいと焦っている。
 都では自分より年若い狩野永徳が注目を集めているのだ。
 反面、自分の絵がそのまま通用するのか、とも思い詰めたりしている。


 元は武士である奥田家から絵師の長谷川家に養子に出された。今は妻の静子と息子久蔵との家族を守るべく絵師の仕事に埋没している。


 主君の畠山家再興をめざす本家の実兄が、起請文を都へ届けてくれと頼んでくる。今の能登を支配する武家たちの目を盗んで動くのは危険なことだ。そのせいか、まだ起請文の実物が手に入る前に養父母たちが襲われ、ふたりは自死してしまう。
 自分のせいで養父母を失うことになったと、信春は悩む。この悩みは生涯つきまとうことになる。


 やがて、故郷を捨てる決意をした妻や息子とともに都を目指すのだが、信長の浅井朝倉攻めでその行程も阻まれる。
 妻と息子は敦賀の寺に残し、信春ひとりで比叡山までたどり着く。だが、ちょうど信長による叡山焼き討ちに遭遇、そこでまだ幼い子供が危難に陥っているのを救い出す。この子がやがて絆を結び、信春の将来に道を開いてくれることになる。


 都に出た信春は名もない絵描きとして、扇子絵や芸妓の似顔絵描きとして暮らすことになる。
 だが、世話になっていたお寺の住職が亡くなり、その尊像を描いたことが評判になり、一気に信春の名が高まる。
 
 そこに畠山家の姫で、京の三条家に嫁いでいる夕姫が伝手を頼って声をかけてくる。夕姫の紹介で大坂に向かい、着いたところは石山本願寺だ。
 そこで出会ったのが近衛前久。
 さきの狩野永徳の本では、足利義輝の協力者としてええとこをさらっていくサブキャストだったが、今回の作でもかっこいい。
 足利義輝を失い、今は信長の傀儡となっている義明には見切りをつけ、信長との融合をはかっている前久は、本願寺とのつながりを信春にもたらしてくれる。


 やがて、一年ぶりに静子と久蔵を都へ呼び寄せ、3人の生活が始まる。
 信長が上京焼き討ちという暴挙におよび、信春たちはいっとき大徳寺に身を寄せる。
 その後も自分の身に危害が及ぶことを懸念した信春は、近衛前久を頼って丹波に身をひそめる。
 安土では壮大な城が出来上がり、信長の天下は頂点を極める。
 やがて越前の浅井朝倉が滅びると、前久は今度は信長のもとで政治の中枢に関わるようになっていく。
 信春たちは堺の妙国寺に身を寄せる。そこで信春は都の僧の肖像を描いていた。


 そのころから、妻の静子の体を病魔が襲う。オランダ人医師のもとで修業をしている日本人の女医が静子は肺炎だと診断する。
 安土宗論という信長の陰謀で日蓮宗の僧たちが迫害を受け、信春たちのもとにも身辺の危機がおよぶ恐れがでてくる。
 余命はいくばくもないと診断された静子に、今一度故郷を見せてやりたい一心で、信春は妻を背負って能登に向かうが、敦賀で妻は亡くなってしまう。そのとき、静子は久蔵に向かって、父の後を継いで立派な絵師になりなさいと言い残す。


  そして本能寺で信長が弑され、秀吉の時代が始まろうとしていたころ、信春は堺の画商のもとで西洋画の技法を習得しようとしていた。息子の久蔵も絵師としての腕を磨いている。
 そこへ京都所司代の前田玄以が秀吉の朱印状を持参してくる。信春の天下往来の自由を認めるというものだった。秀吉は近衛家の猶子となって関白の立場を得たのだ。
 今や自由の身になった信春は京の近衛邸をおとずれ、前久と歓談する。 
 前久は自分から見た信長のあせりや、本能寺への導きを告白する。そして、信春には、己の信念に忠実に生きよ、この世の名利に目をくらませず、真・善・美を追求せよ、と励ます。
(以上、上巻)


 下巻は狩野派との対決から始まる。
 信春は京都に出て、扇屋を商う。職人も雇って、なじみの芸妓たちもお得意さんだ。店の名を能登屋としたのは望郷の思いと、亡くなった静子への手向けだった。店の看板の額を、近衛前久の息子が書いてくれる。
 そして狩野永徳との再開。永徳の描き方が少しえげつない。下巻の末尾で、前久が永徳の批判を口にしている。それまで信長とよい関係だったのに、手のひらを返したように秀吉に取り入っている。変節漢だというのだ。


 永徳も四十三歳である。かねて信長の肖像画を永徳が描いていたが、秀吉の注文で、3回忌にあたり、その肖像をおとなしいものに改造したと批判されている。目つきを変え、二本差しの刀を脇差一本に書き変えている。これなど2011年のニュースなので、ちょうど連載中に話題になっていたのではないか。
 そこに、永徳の父の狩野栄松が聚楽第の襖絵を手伝ってくれないかと持ちかけてくる。永徳はまず腕試しだと4曲の屏風絵を描くよう要求する。
 いつもどおり、悩みながら描く信春。今回は永徳に勝とうとする心を打消し、自分なりの絵画を求めていくことで解決する。
 永徳は出来上がった屏風の優劣を、弟子たちと信春の息子久蔵の9人で投票で決めようとする。
 その結果、一票の白紙があったため同点で引き分けに終わるのだが、永徳はそれが我慢ならず、自分の絵に自分で墨を塗りつけてしまう。
 久蔵はその絵を修復させてくれと頼みこむ。
 やがて、聚楽第の仕事が終わったころ、狩野永徳が久蔵を自分のもとに預からせてほしいと言ってくる。長谷川家の4代目として育てようとしている信春は、他流の勉強も大切だと久蔵を手放す決意をする。


 大徳寺三門を再建することになり、堂内の絵画をだれに担当させるかで、またまた狩野家との対立が深まる。長谷川家が担当できることになったが、それには人手がいる。狩野へ勉強に行っている久蔵を呼び戻すについても、狩野から念書をとられる一幕も。

 三門が完成したとき、大徳寺の長老から先達の名にちなんで等白と名乗るが良いといわれ、描いたばかりの図に等白と署名する。


 秀吉には長子鶴松が生まれ、北条征伐をはさんで、いよいよ太閤の天下。
 仙洞御所の襖絵を描くために、ふたたび狩野派との対決が始まる。そこに三条家の姫と実兄が、口を利いてやるから、と賄賂を要求してくる。


 対立の果てに永徳が亡くなる。狩野派はそれでも長谷川派を許そうとはしない。
 大徳寺三門に据えられた利休の像が太閤の怒りを買う。というより、三成が自分の力を証明したいがために仕組んだことだ。
 だが、鶴松は幼いうちに亡くなってしまう。利休のたたりだと畏れた太閤は祥雲寺を建立して鶴松の菩提を弔う。祥雲寺の襖絵は長谷川派に任せられることになった。

 息子を亡くした悲しみを打ち払うように朝鮮出兵に血道をあげる太閤。
 その最前線基地である福岡の名護屋城の装飾画を描くために、久蔵も福岡へ出向く。
 外壁に龍を描いて明国からの使者を畏怖させようという計画が持ち上がり、狩野派の絵師たちと並んで突貫工事が始まったが、久蔵はある事故により死んでしまうのだ。

 そして松林図。
 深い悲しみのはてに等伯が辿り着いた境地とは、その図にあらわされている。
 

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