2009年12月5日土曜日

「オリンピックの身代金」


「オリンピックの身代金」2008’11.18刊
奥田英朗さんの長編ミステリー。2009年の文春ベストテンでは日本部門8位にランク。
昭和39年8月のなかば。東京オリンピック開催があと2ヶ月にせまった東京で、五輪の警備責任者である警察庁長官宅で爆破事件が発生。
ん? これは実話かな。そんなニュースは聞いたことがなかったけど。
と思っている間に物語に引き込まれていく。アロハシャツやマンシングウェアに身を包んだC調な男がおり、ビートルズのレコードを友達と分担して購入するBGと呼ばれる女の子たちがいた。そんな時代。
時代背景が鮮やかに書き込まれていて、当時は中学生だったぼくには、そうそう、そんな感じだった、と懐かしさにうるうるしながら読み進むことになる。
話は爆破事件のひと月前にさかのぼる。東大生の兄が工事現場で急死し、その骨を持って田舎の秋田へ帰郷していく東大生。
格差社会というが、この時代も格差社会であった。貧富の差が歴然としてあり、都会と地方、エリートと労働者、警察幹部と末端の職員、公安警察と刑事部なんて差別も。東大生はしかし、その格差がそれぞれの身分の中でしか争われていないことに疑問を感じ始める。自分と同じ組織の中でしか人は争わない。階級闘争なんかには興味がないかのごとく、自分たちを自ら差別し、仲間たちを罠にはめていく。
ストーリーはそうして、事件発生で走り回る警察官、それを目撃、関与する友人たちの右往左往を描き、そのひと月前に戻り、犯行に及ばざるを得なくなっていく犯人の事情を、温かいといえるような筆致で描いていく。ついつい犯人に感情移入してしまい、521ページ上下2段組みも、もどかしく思えてくる頃には、そのひと月の間隔が2週間前、1週間前になり、前々日、前日となって、いよいよ10月10日、晴天の開会式の日を迎える。
今、考えても、国中がまとまっていたのだね、オリンピック目指して。そこでは差別も、格差も忘れられて、ひとつの盛り上がりが頂点だった。その反作用で現代社会があるのだとすれば、それはそれでしようがなかったのかな。
当局は発表しなかったが、あったかもしれない物語として、「ジャッカルの日」や「鷲は舞い降りた」など、ぼくの好きなジャンルにもあてはまるかもしれない。

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